美の特攻隊

てのひら小説

続・探偵

路傍の黒衣がきっと符牒なのだろう。夕暮れを取り急いでいるような婦人のすがたにふたたび出会った。

あれからの日数はしれていたけれど、犯人と目された松阪慶子似の悽愴な死は、限りない青みを帯びて網膜に焼きついているに違いない。

なぜなら澄んだ空気にもかかわらず、また斜陽の雰囲気にこころ鎮められていたとはいえ、蜃気楼が及ぼしたふうな霊妙な効果をどう感じとればよいのやら、すれ違い様に見届けた面影こそ、死せるグリーン女史そのひとだったからである。

とても声はかけれない、が、こころに沸き立つ言葉は刃物で彫られた文字がしめすごとく、ありありとして、適度な深みを、そしてうらはらに余分な凝視をあざ笑うような振幅で反響されるのだった。

「貴女は寒気をもよおす媚態でつめより偽装心中を謀ろうとした。しかし自分は難を逃れた、浮かばれぬのも仕方ありません、幽霊なのですか」

視線を交える間もなく、そして自分の逡巡を見限る気概がしめされたのか、はたまた、新たな技法でも駆使されたのか、めぐる念いは倒錯した景色にのみ込まれてしまった。

 

映画はすでに始まっている。符牒が門口なら、必ずあの場面に立ち返っているはずだ。

そして相変わらず自分の存在は透明人間みたいに意味をなしてなく、不本意で苛立たしくて、そうかといってスクリーンを裂いてしまうほどの憤怒は抱いておらず、傍観者の安堵と興味のうちにやはり居座っている。

上映後に待ち受けている帰宅後の腹立たしさのほうが念頭にあったから、家に電話をして「便所になんか布団を敷くんじゃない」と言いつけようとも案じたが、どうにも物語は緊迫している様子なので、結局黙って情況を見渡すことした。

岩下志麻ふうの女主は仏壇のまえで哀愁をにじませた無表情をつくりだしている。金田一探偵がレッドと呼んだあの心情を面にあらわすことを忌避しているこの屋敷の気配そのもので。

グレーとかブルーと言われた人物のすがたは今日はなく、他には落ち着いた色合いの着物をまとった司葉子似の気品ある女性と、同じく和装で涼しげな愛くるしい目をした吉永小百合を思わせるひと、薄紫のワンピースが初々しい大原麗子によく似た令嬢、その付き人らしき菅井きんに生き写しの老女、右奥には探偵の心底から困惑しているのか疑わしい顔つきが覗けた。

「つまりですね、グリーン女史が真犯人でなかったとすればですよ、あのひとは冤罪をはらすことなく処刑されたわけです。これはまいったなあ、なぜ奥さん貴女はわたしにあんな耳打ちなどしたのです」

どうやら以前の結末からさらに飛躍しているようだった。

「黒衣のグリーンはそれで自分のまえに、、、」

どんでん返しを期待しつつ、早くも映画の続きに巻き込まれていくのが痛感され、ほどよい刺激が走り抜ける。

女主の返答を待つまでもなく、居合わせる誰もが無言を通し、開け放たれた襖へと澱んだ思惑が吹き流されてゆくのみで、焦燥をおびた探偵の息遣いだけが室内に充ちていた。

「雨どいに毒薬が仕込まれていたのを報せてくれたのはどうしてですか、グリーン女史のゆく先々で毒殺事件が発生しました。今までの調査によってもはや揺るぎのない事実なのです。奥さんは遠縁にあたる女史をかばいきれなくなり、そしてこれ以上の惨劇をくり返さないためにと、わたしにすべてを託された。女史は殺人者独特の嗅覚でそれらを察知し、自ら命を絶とうとしました。間一髪踏み込んだときの過激なまでの抵抗はなるほど、無実だからこそとおっしゃりたいのでしょうが、連続殺人の動機から考えまして逃げ場を失った狂乱に尽きるのではないですか」

自分は探偵の陳腐な推理に呆れ、まったく的を得てない答えに我慢がならず、例によって劇中へ乗り込んでしまった。

そして冷遇されないよう、ちょうど無人島からありったけの大声を海原に向かってしぼりだす勢いで両腕を振りまわしながら、探偵に言い放った。

「金田一さんはごらんになったでしょうが、自分が女史とくちびるを重ねていたのを。彼女は殺人鬼とは少し違う、いわば心中マニアなんだ、これまでが失敗に終わったから、今度こそ本懐を全うする覚悟だったのです。あのひとの目はそういう色をしていました」

探偵はじめ一同の注視がほぼ現実味をもって集まっているのに舞い上がった自分は矢継ぎ早に、

「何故あのときの意見を無視したのです。うかつだったのは同じでしょう、差し出がましいのは承知でしたけど、金田一さんはどうしても連続毒殺事件と認めないと気がすまないみたいですね。でははっきり言わせてもらいますよ。探偵はこのわたしなのです、あなたではない」

そう断言してしまった。

女主の視線を横目に熱く感じる。司葉子の表情に異変が、吉永小百合の口もとからは吐息のようなものが、大原麗子の苦笑もこぼれている、菅井きんは口をあんぐりと開けたまま、そして当の金田一は思いもよらない事件現場に向き合ったときに得る、あの会心のまなざしを注いでいるではないか。

「今回は出来の悪いドラマだったのです。自分はここに来るまえグリーン女史とすれ違ったのですよ、この事実だけで十分に信憑性があるとはいえませんか」

ほぼ全員から嘆息がもれる。それは同時に映画そのものの醍醐味でもあると確信した。しかし出来が悪いなどと批判しておきながら、慢心を覚えたのが運のつきだった。

「誰です、テレビをつけたのは、話しの途中でしょう」

金田一探偵は髪をかきながら、その注意さえ面倒臭そうに言った。

「あたしはね、毎日この時間はニュースを見るんですよ。どれどれチャンネルが違うのですかね」

菅井きんはいっこうに悪びれる顔もせず、すぐさまそう応えた。そして「あれま、金田一さん、これあなたの事件簿ってドラマじゃないですかな」と驚いたような素振りをする。

「はあ再放送でしょう、古い番組やってるな」

探偵は抑えの効いた声で応答した。

「へえ、吉永小百合も出てたんですか、まだ若いですねえ」

「なんどか共演しました」

「じゃあ、このひとは誰です、出演者に見境なくサインして下さいって騒いでいる男」

この部屋にテレビはあったのだろうか、いや、そんなことは問題ではない、それより探偵のいう再放送のドラマに自分の影がはっきり見てとれる。まさしく乱入といった態で無様に歪んだ笑顔をただそうとしている。唖然とした自分を置き去りにしたまま、探偵はこう呟いた。

「奥さん、今回の犯行は貴女でしたね。グリーン女史をかくれ蓑にした」

うなだれる岩下志麻、仏壇から煙る線香がその横顔をかすめ、無言でうなずくけば、女優としての風格が漂い出し屋敷全体を被った。

 

目覚めたとき、夢でも恥をかけば実際と変わらない心持ちがするものだと、つくづく得心したのだった。