美の特攻隊

てのひら小説

夜間飛行 〜 後編

ためらいの陰りなどなく抒情が整列し、探りはすぐさま目的に同化すれば、頬の火照りは風に熱意を吹きこみ、もはや自分の意志が率先してマントのはためきを買って出ているのだと薄ら笑いを浮かべた。

山稜から山稜へ、やがては歓喜と高まる情念に胸を焦がすと、暗黒の空は狭まった旋回を許容しはじめる。今度テントから出た刹那に狙いは定められ、狂熱のゆくえに酔いしれた。

魔界への導入に促された服装、水色が灰色ぽく褪せたパジャマの月並みさ、、、申しぶんない、吸血鬼に向けた憧憬は闇にさらわれ、宙づりになったことで却って白々しい日常を軽蔑するどころか、陰陽の連鎖を思い知り太陽の残滓を、月影の誇りを、ひたすら身に宿す。

「ところで、おまえ、どうやって血を吸うつもりなんだ」

「それは、、、やはり、首すじに噛みつくのでは」

天空を周回し、脳内にきらびやかな、そして凡庸な発露を飛び散らしていただけのほうが幸せだったかも知れない。

たしかに男の問いかけは至極まっとうであり、目的に向かって突き進むのなら、血と肉に関する料理の心得が求められる。だが、犬歯など生えていないこの口で果たして首にかじりつけるのだろうか。

想像してみただけで狂乱は静まりかえってしまい、どうしてそんな水を差すような言葉などと、すこし怒りがもたげてきたが、落ち着いて考えてみれば、犬歯を持っていようがいまいが、とても生身の人間に食いついたり出来なかった。

「何というくだらない葛藤に苛まれているのだ」

叱責を含んだ男の視線を感じる。そのときだった。おそらく小用だろう、そう踏んだ意に間違いはない。

一人テントから歩きだす様子が分かり、夜光虫が飛び回っているくらいの高さにまで接近し、いや、これはもう高さではなく低さが強調される地表をうろついているに等しく、それでも情熱の片鱗はうごめいていたから、僕は自分でも情けなくなるくらい哀願の表情を夜気に投げかけていたと思う。

実際には魔術師の法力に、それから汚れも罪もない、何も知らない、ましてや夜の空から邪悪な意思が降り注いでくるなんて想像したこともないだろう、顔も名も不明の女性に対して一途に祈り念じていた。

テントから距離はあるといっても、小用を足すのだから彷徨うほど遠のいたりしないに決まっている。

案じると同時に女性は草むらにしゃがみこんだ。凝視する心許なさに従って判断もつかず、どうすることも不可能な立場を歯ぎしりしているしかない自分が悔しかった。

「神隠しの術を使うか」

男の苦々しい口さきに光明を見いだしたのは言うまでもなかった。こんな反応だけは悲嘆にくれていようが鋭敏であり、調子がいい。魔術師の眼には僕の会心の微笑が映っていた。真下で草影からのぞかせている白桃のような尻に眼をやるより、こうして金縛りにあった意識へ沈んでいくほうが望ましかったから。

「さあ、駆け上がるぞ、寿命をいただくのだからな、おまえの想いは叶えてやる」

魔術師はすべて見通しているのだろうか、そんな小骨が刺さったみたいな、だが偉大な思惑を乗せ、マントが大鷲のように羽ばたけば、これにはさすがに度肝を抜かれてしまって、絵にでも浮かべて欲しい、あの女が尻を出したまま大地から飛び立ち、驚愕に不安定を強いられてしまったのか、気流にもまれる勢いで、確実に僕らの方に向かい宙を舞ってくる。

その顔色を見極める間もないうちに上体は夜空に治まったのだが、突風より激しくあおられたせいで下半身に残されているのは、冷気を再確認してしまいそうな真っ白い下着だけで、本人もそれに気づいたのか、もしくは気丈な性格なのか、こんな情況にもかかわらず、左横に並んだ僕を睨みつけながら怒気を込めこう言い放った。

「なによ、あんた気違いなの、あたしをどうするつもり」

すかさず魔術師は、

「気違いではないよ、奇麗なお嬢さん、意識を変革しているだけに過ぎない。それよりその格好は貴女にふさわしくありません」

と、あたかも街角でふとささいな粗相をしでかしたふうな、慇懃でなおかつ即席の愛情がこもったもの言いをし、向かって手刀で切る仕草をしたところ、夜目にも鮮やかで美しい純白のドレスが出現して、たちまち女の身は飾られた。

定めし間違いはないだろう、空中に拉致された局面よりも、ただ白いだけでなく、まばゆかった下着とは次元の異なる光輝な衣装に陶然としている、つまりそちらの方に彼女の意識は泳ぎだしていたのだ。

なぜなら、花々が惑星を取りかこんでいるような、壮大な景観は重力の魅惑によって形成されるのだろうし、気が遠くなるほどの年月が今この一瞬に凝固され、うつろいゆく森羅万象から編み出された羽衣、いわゆる天女の召し物と化してその身体を包みこんでいたからで、更には胸もとに輝く異様な宝石の魔力から逃れることは無理だと見定められた。

女の驚きをともなった放心を魔術師は決して見落としはしない。

花の奇跡に例えるならまるでお嬢さんの美しさは、、、といった歯の浮いた、けれども耳あたりは悪くない甘い言葉から続け様に繰り出される品定めは、事実と不可分であることの保証となり、神秘とみやびの世界に移送しながら、これまでの経緯を最大限に優麗に磨きあげ、邪心はなおざりにされたまま、非礼を詫びている様子がいつの間にやら、誘惑の証しである恋文を読みあげているような情勢へと転じてしまっている。

今宵僕を尋ねた場面なども目立った脚色は施されていないのだが、自分の出来事だったとは俄に信じ難い遥か彼方の物語みたいであり、これから降り立つ美しい星での見聞と思えてきた。

これが神隠しなんだろう、可哀想だけどこの女性は永遠の契りによって僕より寿命を短くしてしまうかも知れない。

彼女の表情に奇怪な既視感を覚えた頃、おまえの想いを叶えてやる、、、という言葉が胸にこだまし、まだまだ愛撫の最中であるような甘言がいつまで続けられるのか気を揉んでたら、それは明快に白状すると、僕との契約が反故にされているみたいな、この期に及んでいやにけち臭い焦燥に駆られたのであって、妄想が準備した吸血行為も、弓矢に目した欲情も、魔術師のマントから離脱してしまい、霧散する予感にとらわれてしまったのだった。

もはや地表からは明滅する日常を得られない高度まで昇りつめている。

僕はここに来てはじめて時を数えてみた。指折りながら、寝室の時計の針を思い返し、時間を売ったことを、それ以上ではなく、そのことだけをとりとめもなく、、、

女が僕に向かって話しかけてきたのはどれくらい指折り数えてからだろう。

とにかく、僕は魔術師の啓示通り、大きく利発そうな眼でじっと見つめられ、なめらかで肉づきのよい唇からこぼれだしている陽気な息づかいを間近にした。そして、その艶めいた赤みがこれより迫り来れない実感をしみじみ噛みしめた。

礼節を重んじたわけでもないけど、夜空の恋人を抱くまえに魔術師の面に目線を配った。

暗雲が最高に、とてつもなく雄大に、占拠しているのが分かり厳然たる世界へとひれ伏すより妙案はありそうもない。

 

翌朝、日光に応じる壁掛け鏡はいつになく機嫌がよさそうだったので、その気で青ざめた顔を映し出してみたら、左の耳たぶに異変を見つけた。

すると何とも婉曲なかゆみがやってきた。赤い果実を想起したあたりで滑り台を降りて来るような無性なかゆみに変わった。たっぷり蚊に刺されたらしく、まるで桜桃のごとく色づいていた。