Loveless
「お元気、どれくらいになるかしら」
「ついこの間のようだけど、月日は知れないなあ」
少女の澄んだ瞳をのぞきながら青年はため息まじりの声で答えた。
「また霊界テレビなの」
「その通り、よくわかってくれたね」
「相変わらず酔ってお家に帰ると使われていない端子の画面がひかりだしたのね。放送予定なんかどこにも記されていない、録画も出来ない番組」
「うん、そろそろかなって、待ち望んでいたんだ。そうした願いは以外とかなうものさ」
青年の話し方には充足感というより、はかなげな幻が通過していった虚脱をまとっているふうで、語尾は微かに震えていた。
「そういうものなの」
少女の問いかけもまた、期待とは距離のある寂しげで消え入りそうな余韻そのものだった。しかし表情自体に曇りはなく、むしろ妖精を想わせる無垢な快活さで青年の胸に一抹の華やぎを添えた。
森の奥深いところに注がれる光線が木々を揺らしているように、そよ風がまぶたの裏を抜けていくように、透き通った情景がひろがる。
「そうだよ」
うなずいた声は葉擦れであり、未知への伝達が含まれていた。
「サスペンス劇場じゃないの」
「違うんだ」
青年は親愛を込め少女のくちびるをふさぎたく思ったが、それだけの言葉にすべてを託した。
にわかに目を細め、やや小首をかしげた少女の仕草はとても可憐であった。
昭和の映画によく見かけた端々が荒れ狂った勢いの書体、その真っ赤なタイトルにまず息をのんだ。
画面全体からはみ出しかけている毒々しさの「崖っぷちの女」とは古い作品なのだろうか、それとも趣向を凝らしているつもりだろうか。たしか似たような名の韓国ドラマがあったはずだが、、、
紋切り型の大団円、岬に集った面々の俯瞰からドラマは始まった。
いきなりラストシーンとは如何に、と思いきや、わずか数秒で人々は離ればなれになってしまい、しかもフィルムを逆再生した様相で時間が反対方向に流れているふうな技巧が見受けられた。
すでに事件は解決してしまったのか、疑問をはさむ余地なく彼らは互いに背を向けて、誰ひとりの影も残さないまま岬をあとにしている。
ひょっとしたら予告編かも知れない、ときめきにも至らない投げやりな予想を見事に裏切り、散開した登場人物らをカメラは雲にまで達する高所から捉えて、蒼海の原色めいた輝きさえ、かすれてしまうほど昇りつめてしまったので、もう描写うんぬんを通りこし、成層圏を突き抜けかねない速さで、大陸と海洋がほこりをかぶった粘土みたいな色合いに映し出され、あとはこの惑星の気品ある丸みで絶頂を迎えうると想像したところで、いきなり場面が切り替わった。
きらきらと映発する川沿いを若いふたりの男女がゆったりした足取りで歩いている。
人物よりも水面に揺れ動くまわりの茂みや空模様に主眼を置いているのか、会話はなされず、ふたりの影はまるで添え物のごとく風景に配置されており、微風に乗って運ばれてくる小鳥の音やカエルの合唱が主役にとって代わろうと企んでいるように思えてしまった。
映像が映像であることの証明は劇的効果を予感させる。それはひとこまで物語られた。
軽やかな風が強く女の髪を吹き流し、その横顔を被い、鋭い眼光だけが川面に投げかけられた。殺意は青く、衝動の美学を謳っている。
ガードレールが途切れた箇所で狙い定めたのか、女はいきなり男を突き飛ばしてしまった。緊張は唐突に訪れ、ほとばしる寒気は晴天の空気に抵抗をしめし、視聴者のどよめきさえ耳にこだまするような幻聴を得た。
男は川中に投げ出され溺れかけたに見えたが、なにやら懐から取り出したものを左手で突き出し、もう片方はしっかり遊泳の構えに落ち着いた。手にしていたのは栄養ドリンクである。
これはCMなのだろうか、「ファイト一発!」とか叫びそうな気合いがクローズアップされ、男は苦みばしった笑みを保持したまま対岸に泳ぎつき、悠然と土を踏みしめ女のほうをにこやかに見返した。そして両手を大きく振りながら、無言のうちに情愛をばらまいている。
女の顔色は長い髪で隠され、その胸中をあらわにすることなく同じ流れに身を投じた。
ここではじめて男の表情は歪み悲劇の色調を深めた。栄養ドリンクは飲まれず、膝をおとし悲嘆にくれた姿態だけが陽気な日差しに照りつけられていた。
「それで終わりなの」
少女の目もとには別の方角からやってきたであろう嘆息が、哀しみに同調していた。
青年はあらかじめ予期していたかの口ぶりで「残念ながら」そうこころから返した。ドラマを見ていないものには理解してもらえない、至極まっとうな心持ちを前面にあらわし、次に出てくる言葉をのみこみかけ、だが告白めいた物言いの常であるよう、さきほどの震えは持久力に支えられ、淡々とした声になりながらこう語りおおせたのである。
「霊界劇場だから仕方ない、ぼくは話しを長引かせることも潤色することも出来ないんだよ。お願いだ、もう少しだけここに居てくれないだろうか」
青年はドラマの男と同じく膝をおとし、天女を見上げるまなざしで、いつまでもかたまり続けていたいと願った。