美の特攻隊

てのひら小説

ちび六と豚丼

雨がしとしと日曜日、どの家も窓を閉め切って静かな空気がよどんでいます。

風呂場のすみから、ハイハイはってカサカサヒタヒタろうかをわたってくる気配、なんて知るわけないですよね。

でもまったく関知しないのではありません。おねえさんはちゃんとはえとりくものちび六を覚えています。ときどき見かけるからです。反対にちび六はおねえさんに恋したくらいですから、言うまでもありませんね。

夜行性なのに今日はどうしたことでしょう。

ねむねむうとうとまどろみすやすやの編み目からもれてくるざわめきがあったのです。ちび六はこの家の事情はおおよそ把握してるみたいですから、

「ははあ、また、おねえさんだけのこして、みんなでかけんだ」

と、勘を働かせたのです。はい、その通り、夜ふかしのおねえさんは留守番でした。

でも、様子が変ですよ。なにやら話し声が聞こえてきます。

どれどれ、ちび六の好奇心はいつもながら旺盛です。

 

「早朝に言い出すんだから、もう、こっちは深酒でうらおぼえなのよ。まったく」

「仕方ないじゃないの、あんたの日曜なんて判でおしたようなものよ」

「なにそれ、ずいぶんね、でも仕方ないか。ところでなんの用事」

「ばっかじゃない、先月会ったとき、たまには遊びに来いって言ってたくせに」

「そうだっけ、ごめんごめん、あっ、そうそう新作料理をふるまってあげるって話したんだ」

「で、なにをごちそうしてくれるのかしらね、二日酔いさん」

 

おや、これまで目にしたことのないお客さんがやってきましたよ。もちろんちび六にふたりの会話なんて分かりません、が、なんとなく雰囲気が理解できそうなのでした。

こういうときはじっと身をひそめているのが賢明です。カサカサスイスイさっと天井のかたすみへ移動しました。

 

「普段から朝ご飯食べないじゃない、お昼だってパンとかコンビニ弁当、夜は適当なつまみ、休日の夜食だけは自分でつくってるわけ、冷蔵庫のなかと相談だけどね」

「じゃあ、今日はディナーでございますね、シェフ殿」

「まあね、まかせておきなさい」

「それで」

「それでね、豚丼にしようと思ってるの」

「ええっ、わたしダイエットしてるんだけど、よりによって」

「なにを言う〜、豚にはビタミンB1をおおく含んでおるのじゃ、疲労回復、二日酔いに効果あり」

「あんたの好みじゃない、もう、お腹すいた。でもライス少なめにしてくれる」

「ライスじゃと、ごはんと言いなさい、豚丼やめ、豚めしにするわ」

「はいはい、わかったわよ」

 

ちび六のくちがもぞもぞってなりましたよ。

なにか楽しくなってきました。おねえさんに友達が訪ねてきたのが自分のことのようにうれしかったのですね。それにこのひとけっこうきれいな顔していたからでしょうか。

あっ、出ました三方の礼、キッキン、テーブル、冷蔵庫に向かって。ちび六の耳に次なる響きが伝えられるのはもう定番になりました。呪文です。

「冷蔵庫、華やかな霊安室

「はあっ~」

友達は目を白黒。

「一応、メニューを発表させてもらうわね」

「発表もなにも豚めしなんでしょう」

おねえさんの顔つきがひきしまっています。気高い雰囲気が瞬時にして全身を包みこんだ模様です。

「豚はバラ肉を使用、一番安そうなとこ、味つけはショウガを基本に調味料少々、春キャベツならびに新タマネギ千切り、紅ショウガはお好みで、それにみそ汁も」

「へえ、野菜はいいわね」

「では調理にとりかかるから、テレビでも見てて、ただし無音で、素早くできあがるわよ」

「知るかっ、雑誌でも読んでるわ」

 

小鍋に点火、すでにだしパックらしきものが沈んでおり、薄く色づいている。かなりの時間水だしされたと思われる。

「それなに」

うしろから友達がのぞきこんでそう訊いた。

「もう、邪魔しないで、これは天然いりこだしなの、みそ汁とあと豚めしの風味づけにつかうんだから、下がって、しっしっ」

「ふん」

冷蔵庫より主役の豚肉が運び出される。かなりの量だ。大皿に移され日本酒をひたひたにかけ、よくなじませ、ショウガがその上にすりおろされた。醤油を少し、この段階では味つけは決定されない。

右手で皿のうえを水平になぞる、気功の類いであろうか。

まな板に春キャベツ登場、葉っぱを一枚一枚むしりとり、重ね合わせ曲線にそってまるめこむ。菜切り包丁が灯りに呼応し、的確な早さで千切りが開始された。糸状とまではいかないが、かなりの細さで長さも有しており、食感がいやがおうにもうかがえる。

「スライサーでやると簡単なのに」

「まだいたの、気が散るからあっちに行っててよ」

「いいじゃない、わたしだって料理くらい出来るわよ、なにさ、えらそうぶって」

「じゃあ、黙って見てて、もっとうしろで」

 

春キャベツを水にひたしている間に新タマネギも薄切りにされる。ちょうど半分なので速やかに刻まれ、軽く洗っておく。

普通のタマネギが現れた、これは炒め用と見た。さほど念入りではなくザクザクとカットされる。そして煮立った小鍋にひとつまみ投入し、弱火にしてからしばしのち、だしパックが取り除かれ、千切り野菜の水切りを行ない、ここで盛田 国産無添加八丁赤だしが優雅な手つきで溶き入れられる。

たちのぼる湯気とともに香ばしい匂いが鼻ついたところで、粉末かつお節を少量ふりかけ一旦火を切る。

準備万端、不動の構えにてフライパンを熱す。じわじわと火を吸収してゆく様が感じとられ、いよいよ炒めに突入する。

サラダ油適量、鍋底に均等になじんだとき、酒と醤油にひたされた豚肉はじゅっという痛覚を部屋に投げかけ、その赤茶けた色合いをさらに深めてゆく。

タマネギをくわえ強火で炒めれば、水分が飛びはじめ、そこに赤出しを入れるまえにすくっておいただし汁をさっとまわし入れ、白米と野菜に浸透するであろう加減が推測でき、会心の笑みがこぼれかかるも、油断大敵、火の通り具合に集中する。

が、野菜類の水気の確認を怠ってはいけない、手早く状態を見ながら、保温されていたごはんを大きめの深皿に盛る、決してどんぶりではなく。

以外や少なめなのが友人に対する気遣いなのか、その辺りは定かでない。

ここで一層険しいまなざしをもって手にしたのは、エバラスタミナにんにくのたれである。どうやらこれで最終的な味を決めるようだ。

小さじ一杯ほどのたれが落とされ、かきまわしたところで菜箸でひとつまみ。

首肯し醤油を注ぎ足し、コショウをふると同時に新タマネギを乗せ、フライパンが大胆に返されて火力はその命をまっとうした。これで炒めは仕上がった。小鍋に点火、みそ汁を温める。

深皿のごはんに春キャベツがあたかも芝生のごとくに敷かれ、その上にドバドバと、だが、慎重な手首は震えを抑えるよう的確である。

豚肉の重みに耐えているかにも映る、皿のふちからのぞく春キャベツの青みは雑草の健気さを偲ばせ、一抹の哀感をたたえている。

肉汁に染まった新タマネギのしんなりとした姿態はさしずめ、俘虜の諦観か。

 

「紅ショウガは勝手につまんでちょうだい」

「あら、おいしそうじゃない、うん、いい匂いがする」

「あっ、ちょっと待って」

おねえさん、あわてて冷蔵庫からカイワレを取り出し、ささっと洗ってぱっと水を切り、豚めしにハラリと散らせた。

 

そのときちび六は、、、といいますか、今回は出番が少なかったですね。すると、おねえさんが指をさして、

「あそこにちいさなくもがいるのわかる」そう言ったのでした。

「あっ、ほんとだ。こっちを見てるよ」

ちび六の胸はかつてないほど高鳴りました。そしてこんな幻聴に包まれたのです。

「うまそうじゃのう、麺類とは別の味わいだろうて」

えっ、べんじょさま、、、キョロキョロあちこちドギマギときめきハイハイのそのそソロソロかさかさ。

また世界がひろがりましたね。