美の特攻隊

てのひら小説

返信 〜 気

お手紙拝読させていただきました。随分と返事が遅れてしまったことお詫びします。

もっとも返信無用とも思える文面でしたけれど、、、このように日にちを経てしまった理由をこれから申し上げる次第です。

貴女にはあたまが下がります。何よりも最初にこう言わなければいけない、自分の感情と信念をよく開陳してくれましたね。ありがとう、、、いや、感謝より謝罪しなければ、、、どうも気ばかりが先行して思うように筆がはこびません。冷静なのは私などより貴女のほうです。

あの写真が送られてきたとき、、、完成間近の建物の設計図をあらためて見直すかの心境になったのは、申すまでもなく、貴女がおっしゃられた予期すべきものが待機していることを実感してしまったからなのです。

貴女と乗り合わせた列車内で、息子のことをかいつまんでお話したときから、私は一種の憑依現象にとらわれてしまいました。

他でもありません、純一の生霊がもたらしたかと思われるのです。

 

それはこういう意味でもあります。親ばかに聞こえるかも知れませんが、あの子の性格は私に非常に似ており、実際思春期の私自身あのように偏狭な信念を十分に宿していたからです。

ただ息子との違いは時代的なものがあるといえばあるのでしょう。反骨精神みたいなものを外部へ沸騰するまえに、鎮静してしまう作用を世間や社会は憎らしいくらいに機能させていますから。

臆病な精神を生成する空気と云ったものが私の環境を取り巻いていました。

ですから、偏狭さや自己愛などは、当然あらわにすることがかなわず、ひたすら内奥へと沈滞してゆくしか方法論が見当たらないわけで、そうなると意固地になって非常に微細なものをほじくってみたくなる。

私の場合は語学や宗教学にのめりこめたお陰でそれが生業となって結実したまでのことです。

 

ところが純一の世代では、思考と行動をさまたげている障害が以外と見つかりません。

父親である私からして抑止力などなく、逆に自分が果たせなかった、もっともっと自由であるべきだったすがたを彼の裡に投影してしまったのでしょう。

やりたいことを若いときにやってみる、その単純でいながら果たせない衝動を純一はまるでその後の人生を棒にふってでも噴出させようとしました。

今、単純という言葉を使いましたが、いえ、構造自体はそう簡単な代物ではありません。それが如実に窺えるのは、屈折した禁欲主義となって鎧のごとく身を緊縛する意識でした。

なぜそんなことをと思われるでしょうが、純一が私の書斎から抜きだしては熱心に熟読した文献、それはフロイトから始まり、その亜流や現存在分析派はもとより、西洋思想全般、脳内科学、そのほか官能文学の研究や密教関連などつぶさに学んだ形跡があるからなのです。

高校の夏休み、読書感想文でマルキ・ド・サド三島由紀夫を論じてみたりして、家内は担任の教師から「研究はおおいにかまわないが、異常性欲と自己愛などといった課題は高校生にはふさわしくない」

そんな苦言をいただく始末、私はまさに性的なものが開花したときにこそ、自分のあたまも共振させるべきである、そうひそかに思っていたのでしたが、いざ、息子と向きあってみれば奨励はおろか、勝手に書物を持ち出してはならないと、なぜか口先は反対の意見を滑らしてしまうのでした。

 

もうおわかりでしょう、純一は性を飼いならそうと試みていたのです。まるで犬や猫を飼育し順応させるように。

私はこころの中で彼の実験精神を高く評価したつもりでした。心情的には共感さえおぼえてしまう。しかし、事情は成りゆきを相当複雑のものに作り替えてしまったのです。

一年前の夏、貴女に秘め事を強要してからというもの、私のなかではあの町は貴女の住むまち、進学のため他の地で生活していようが、貴女の帰る町、、、純一が切望している場所というよりも、とにかく貴女が存在する場所なのでした。

確率と言われているように、あの日以来、純一はあの町で必ずや貴女と遭遇することになるだろう、その先の肉体関係まで想像をめぐらせたかどうか、、、これは確率ではない、必然の悲劇の幕開けなのです。

一人息子にまつわる、そんな不穏な舞台装置、、、いえ、違います、私の指先が貴女をまさぐったときから、純一のすがたを借りて東京から飛び立ったのでした。