美の特攻隊

てのひら小説

お百度まいり

赤い目のうさぎさん、、、ぼくは寝言でそうつぶやいたそうだ。
他の色ではだめだったのだろうか。ささいな事だが、うさぎの世界では重要な意味を持っているのかも知れない。
むろん、きみにそんな質問を投げかけたりしなかった。ひょっとしたら顔を近づけながら軽く息をはいて、真摯に答えてくれたのかも。

そっと目を閉じ、ふたたび夢のなかにゆっくり身を沈めてみる。
耳を澄まさなくても、風の音色は優雅なワルツの幻影をはらんでいたし、位置の定まらない車両が奏でる微かな騒音は、肉眼では見通せない浮遊する塵のように、衝撃とは正反対の静けさを保っていた。
笑い声が月影に導かれるのは薄々感じており、星のまたたきによって思わぬ波動が生じていることも理解できた。
なにより意識の地平を占拠していたのは、そうした外界が引き起こす生成によるべきものではなく、より卑近な影の奥にひそむ小さな水玉模様であった。
微生物たちが織りなす繊毛運動、、、それは至近距離から眺めるほどに限りない実りをあたえてくれる予感を秘めていた。羽ばたきを忘れたにもかかわらず、眠りの国を飛びまわる鳥の想念のように。

列車が遠ざかる兆しは思いもよらず明快だった。それはきみの口からこぼれたから。
口角をきゅっと上げ、慈しみにも似た笑みが届けられたとき、ぼくの目はさぞかし赤くなっていただろう。
そう、うさぎさん、、、これでなんとなく落ち着いた。

車窓は確実に映像の役目を果たしてくれたように思う。

「どこか遠くに行きたい」
「そうすれば」
「どこにも行けない」
「そうよね」

裸体は表現を忘れた野生動物の休息に見えた。
情事のあとには微風に揺れるカーテンがよく似合い、沈黙は使命をおびた敬虔な空気のなかに佇む、妖精の吐息なのか。
ぼくが乖離してゆくのでもなく、きみがきびすを返したわけでもない。
ただ、疲れたからだを横たわらせたまま、意識が飛翔してゆく。

「それは旅と呼べるわよ」
「なら、そう思うようにする」

うさぎは赤い目をしたまま階段を駆け上がっていった。