美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 28

道行きを指し示しているのを億劫になる沈滞した気分が、さらにその場から動くことを怠るのは、ぬるま湯のなかに浸り続ける居直りにも似た情態であろう。
車両が揺れるように、湯船は心地よさをぬぐい去ることなく、次第に冷めゆく身を憂いながら、それでも残された砂時計の分量を湯水に換算する懸念は、健気にもまだ命のともしびが絶えることなくゆらめく可能性を決して疑わない。
地震のごとく大地が轟いたとしてもすぐさまに危機を覚えない、あの不遜な身構えはいかなる理由でわずかな猶予を差しだすのか。
恐慌から免れる為に毅然たる判断を瞬時に養う、つまりは防衛本能が稼動した証しとでも云うのか。

孝之は列車が響かせる反復的な震動を受けていた。
不安が増幅される乗り心地は警告文となり突き刺さってくるべきところ、揺れ動き定まらない机上で文が綴れないよう、想いが言葉にたやすく変換できないよう、まるで水のなかへと書かれた文字のかすれになって、胸の奥底に沈みこんでいった。
しかし識別が可能であっても意味は水面下でたゆたう海藻のごとく判読を阻害しながら、もどかしさを呼び起こし、そのまま霧の彼方に留まろうとしている。
ところが彼は知っていた。
すでに防衛段階から身をかわし、新たな虎口に面している事態を、、、そしてこの列車から見遣った左右の車窓は、まるで映写機でもって意識を絡めとる姑息で、しかも投げやりな態度の流れを生みだして、その発露は段々とあふれゆくであろう水流にあわさって、より深く言葉を沈潜させたのである。
これは放逐なのだろうか、困苦から逃げだす行為にいつも言い訳が追いついてくる自意識の攻防か、その果てに待ち受けている神経麻痺。
「いや、麻痺などしていない、、、聞こえてくる、この身をひたしたまわりの空気が水のような抵抗を感じさせている、見えている、いつかは水流にのまれることがやってくるかも知れないが、揺れては浮き上がる言葉のとまどいと勢いが、自分のなかで幾層にも重なりあうのを」

天災における不可避を推し量ろうとする諦観に、ひとしずくの涙でこたえる感傷ではなかった。
滂沱とした感情の発露は地下水へと通じることで、大仰なまでの形式的な悲哀にすべり込むことは起こり得ず、浄化作用の域から逸脱することはない。
ゆっくりと、絶え間なくみ出される泉水の微かな音が、決して洪水には直結しないように。
静かな反復にささえられることは災厄を、日々の連鎖の過程に薄め、来るべき悲劇を望む心づもりへと昇華させる。

孝之を満たそうとしているもの、それは道行きがもたらした心痛だったに違いない。
だが痛みの根源を穴が開くほど見つめてみたところで、ちょうど虫歯にさいなまれた箇所をより一層知覚してしまうことと等しく、効果的な解決策にはならないのだ。
三好から今は体力消耗で安眠中だと聞かされようとも、たとえ携帯をとることが無理としてみても、すぐさまに純一に連絡をつけるのが、親と云うものではないか。その簡単なあたりまえのことを邪魔する思惑がこうしてひそんでいる。
転落事故の顛末は透かしガラスの向こうで起こった出来事みたいに輪郭もはっきり見定められ、その余波で息子はもちろん、初恵や三好家に累が及ぼされる。これらは収斂してしまう見取り図の上にはっきり読み取れるのだった。

トンネルをくぐる頻度が増してした頃、傷ついた純一が眠るまちへと近づいてきたことを実感するほどに、孝之の心労は反対に治まりつつあった。
直接に連絡をつける行為は、軟体生物がしめす生硬な葛藤の末に控えられた。
代わりに彼のこころに満ちはじめたのは旅情と呼ばれる、不確かでつかみどころのない感覚の氾濫である。名も知らぬ駅に向かうわけでも、人里離れた温泉宿をめざすわけでもない。
だが孝之は夢想することで、無用な気遣いを回避させようと努めた。
「祈りの本質は天上や深部に向かうばかりではないはずだ。こうして脇目に意想をずらしてみることも無駄ではないだろう」
難題を抱えながら寝床に入った夜更け、案の定あらわれて来る影絵が期待通りに展開せず、様変わりした光景で映しだされるように、孝之は異相を夢見るのであった。