美の特攻隊

てのひら小説

面影

娘の瞳に焼きついた肖像は夜の帳が降りるにつれ、より濃厚な色彩を放ちはじめた。
深紅の天鵞絨と見まがうような光沢で敷きつめられた階段の壁にその画は掛けられており、陽光のまったく触れないことも手伝って、燭台に灯る炎のゆらめきを過敏に受けとめているかに見える。
「面影のないお父さま、今宵もそんな眼でわたしを眺めているのですね」
娘の独り言は、幾とせにもわたり繰り返されてきた。
その背後には亡き母の幻影が白く浮き出して、しめやかな憑依を遂げているのか、自身の言葉はあたかも台詞のような深い意味合いと、浅薄な警句に則していた。
想い出はいつも陽炎とともに胸のなかへと滲み、迷妄と現実の境い目を縫い上げることで、庭園に鎮座した朽ちることを知らないプロメテウスの塑像に共感をもとめた。
縫い針の先端に光る鮮血が誓いの徴であるように。
「ニーナはいつ帰ってくるのでしょう。約束したではありませんか。焼き捨ててしまうなんて酷すぎます。わたしの大切な友達、たったひとりの、、、同じものを届けさすなんて言い方にも抵抗ありました。身代わりのが務まらないのは、ここの家系と同じではないですか」


母が身籠って間もなく熱病に伏し命をおとした父の所業を娘は憎んだ。

生まれてくる稚児がおんなであることを信じ、縁者から贈られたニーナを見るやいなや、燃えさかる暖炉に放り込んでしまったのである。
鴉がいつになく晴れわたった上空を数えきれないくらいの群れで旋回しながら、つんざくような鳴き声を轟かした昼下がり、父は上気した顔に激しい怒りを乗せ、母の手もとから贈り物を奪い取った、そう三度聞かされた。

最初は老衰で息を引き取る以前に家僕の口から、それは近づくことさえ禁じられていた規律を破り、そっと木陰にうずくまるようにしては昔話をせがんでいた最期の遊びになった。
「お嬢さまの右肩にニーナのまぼろしが見えるのでございます」
「ニーナとは誰のことです。もっと詳しくお話しなさい」
いくら催促してもそれ以上の事柄を伝えようとはしない。ただ見えるの一点張りで、それならどうして名前が分かるのか、我ながら機知に富んだとうぬぼれに舌打ちしつつ、問い続けてみても真摯に応じなかった。
同時に幼児を蔑んでいるふうな家僕の目つきに憤りを覚えたのは、未熟な感受性のなせる技や、気丈な性質によるものではなく、あるいは犬のシシリーだったらその謎を知っているだろうと言った、ふざけたはぐらかしに呆れたわけでもなく、ひたすら秘密を保守しようと口を閉ざす頑迷であり、他の禁句を良しとしてきた馴れ合いから閉め出される屈辱を味わったせいだった。
「それならシシリーを拷問してみるわ、おまえはそのうち地獄に堕ちることでしょう」

二度目は母を仰ぎ見ながら臆する様子を面に表さず、直截なもの言いで訊ねた。
すると一瞬たじろぎ眉根を寄せたのだったが、すぐに毅然たる姿勢でこう聞き返した。
「誰が喋ったのです、はっきり答えなさい」
娘はあらかじめ用意されていた答案をなぞるよう即座に「シシリーからです、お母さま」そう言い放つと、にわかに笑みを浮かべ、こっくりうなずき、くだんの逸話をそっくり授けたのである。
動揺より早く、父に対する怒りの火焔がそそりたち、頬に悔しなみだを模したしずくが一条つたった。

最後は狼の風体を想わせる雄犬シシリーの名を連呼し、熟れたざくろの実を鼻先にちらつかせ、ことの次第を引きずりだした。
シシリーは相手の殺意に似た悽愴な顔色をさとったのか、見事なまでの忠犬ぶりを発揮して、ひとの言葉を操ろうと懸命になった。