美の特攻隊

てのひら小説

ポセイドンのめざめ

光線を避けるようひっそり佇むメデューサの石像に話しかけるのは、家僕のペイルでもシシリーでもなく、以外なことに小間使いのベロニアだった。
どうしてそんな驚きを抱くかと云えば、犬のシシリーでさえ恋心を持ってしまうほどの美貌が隠されていたからで、つまり大きな声どころか、内緒話しでも危うい空気が張りつめてしまうのは、城主のひとり娘より数段澄んだ瞳にくすみを知らない透き通った肌、そして微風になびく様のまるで恥じらいをまわりに分け与えているような白金の髪がもつ罪に他ならなかった。
もちろん普段は頭巾に似たかぶりものと、うつむき加減の生気のない面持ちのせいで、華やぎは抑えられ代わりに砂漠に舞い降りた白鳥のような汚れ役を背負っており、自らの美しさを糾弾しているふうに見え、その意地らしさには疎外という接し方がもっともふさわしいのか、まわりは無難であり続けると信じているらしく、微妙な均整によって立ち位置が保たれていた。

それはいつの時代から持ち込まれたのやら、城そのものに忌諱され、かと云ってニーナを暖炉に焼べるみたいなたやすい感情の発露ですます事はできず、もてあました末が家僕小屋の脇に移されたであろうと察せられる。
またこの山間にもかかわらず、その異形の眼は遥かかなたの海原を凝視していたのだから、幼いころ人さらいによって船に乗せられこの地にやってきたのだ、そうまことしやかに囁かれているベロニアの身上にすれば、呪詛を孕ましたと勘ぐられても致しかたなく、夜な夜なの行為が明るみになってしまうと、主人を失った城内には静謐を装った雰囲気が濃厚に漂ってくるのだった。

「お母さま、ペイルに命じてください、あの嫌らしい石像の首をはねるよう」
娘の懇願は母の希望でもあったわけだが、如何なる由縁でかのメデューサが敷地に運ばれたのか知るよしもなく、ただただ困惑気味の視線を宙に這わすだけであった。
しかしすでにニーナの秘密を打ちあけてしまった手前、その身長より幾倍も頼もしく成育した冷酷を宿した娘の頼みをないがしろにしておくことは出来ず、熟慮したあげく何とシシリーに命令が下されたのである。
下令を受けたシシリーの苦渋に歪んだ顔を想像するのは難くないだろう。

シシリーは唯一こころやすくしているペイルに相談してみた。
「どうやって切り落とせばいいんだろう、言い伝えではあの眼と見合わしたら最後石になってしまうっていうじゃないか。それにベロニアが、、、」
「どうした、おまえらしくないぞ、石がどうした、そのまえに人間になったのはいったい誰なんだ」
「それは、、、ぼくの関知することではないよ」
「責任逃れか、まあ仕方あるまい、しかしお嬢さまとニーナがちからを合わせてくれた恩を忘れてならん」
「どうしてなの、ぼくは拷問されたんだ。舌を引っこ抜かれそうになった、秘密を話さないなら必要ないだろうって」
「それが魔術であり、四つ足から二本足に生まれ変わったのじゃないのか。文句はあるまい、なあシシリー、おまえが犬のころからベロニアを慕ってしたのはお見通しなんだよ。石になっているのはそのこころだろうが」
「わかっているならもっと親身になってくれよ、お願いだペイル、ぼくは石なんかじゃないし、なりたくもない」
「ずいぶん落ちぶれたもんだな、忠犬さまの気概はどこへいった。まさかこのわしにベロニアと手を取って逃げ出せとでも言って欲しいのじゃないだろうな」
「ああ、そうだとも、そう言って背中を押してくれたらどれだけありがたいだろう」
「本気でしゃべっているつもりか」

その夜シシリーは石像にむかって、風のささやきのごとき優しさで語りかけているベロニアのそばへ歩み寄った。
いつものように草むらを縫いながらまとわりつく、ヤマカガシを数匹たくみに前足で払いのけ、女神の影のなかに静かにうずくまると、涼風が鼻先をかすめ、獣の匂いは異国まで吹き流されてしまったのか、シシリーはそのまま深い眠りについた。