美の特攻隊

てのひら小説

夜の河〜24

夢の偉大さは、なにより空白と沈黙をもたないことにあった。
それが思考空間であれ叙情光景であれ、ゆらめく旋律も歯ぎしりのような騒音も、すべて見て聞かれることを大前提に上映される物語であるからだ。
もっとも停電みたいに視覚が奪いさられるときには、意識も同様に暗幕がおろされるのだから、それは空白や沈黙と云うよりも非在そのものである。

では、意識と目と心模様はどこに根ざしているのかと、ちょうど残り少ないバッテリーを憂慮する意想が鎌首もたげたのは、やはり、かろうじて全域を夢魔に侵されていない証明。なぜならゆとりある領域には、ことの葉がいつも舞い降りているから。
その幾ばくかの理路をたどっている以上、脳内はある程度の覚醒を余儀なくされる。
孝之の妄念がありもしない実体を生み出したのでない、少なくとも己の視線に信憑をゆだねているあいだは。
かろうじて把握可能な夢うつつにたゆたう絵巻の押し花から、花片は失われしときの形状を留めないままに、しかし、馥郁たる残り香をしみこませながら、視覚聴覚から切りはなされた嗅覚へと、世界像を拡張させてゆく。

氷の緊迫に身動きがとれない初恵に孝之は最接近したと思われる。
すぐそこに瑞々しいおんなの香りがやってきたからであった。これよりさきは密着と云う、肉体のふれ合いを避けられはしない、たとえ衣服で守護されていようとも。

わずか毛先ほどの間隙の残し、孝之は肉薄を静止した。
さしせまるエロスを芳醇なる児戯に還元させたいが為であった。
何より視覚の象が結ばれるさきを超え出てしまい、最終的には眼窩に収まらないことになれば茫洋とした肉欲など抽象論でもあるまいし、ポルノグラフィーをかすみ目で追うようなもの、劣化して視聴不能になったアダルトムービーを見やるようなもの、純然としたエロスを我がものにするには、もう一度適正なフォルムをとり戻す必要があった。
その為に隠れた次元をひっぱり出して、あの無骨なうちなる言語の堰をきり両翼の羽ばたきを自覚し、ことの葉が木のうえから舞い降りるのではなく、反対に大空にむかってまき散らすエネルギーを動員することにより、目に映る、そのさしせまった侵犯の瞬間は絶頂への登攀を確実に約束させた。
それから氷壁に塗りこめられた実体を余裕をもって眺めやるとき、氷点下のもと地中に生体反応を認めるあの驚きのような高揚はさらに追い打ちをかけ、歓喜の冷却装置はあたまのなかをかけめぐり、一層の醒めたリアリズムを打ち出すことで、欲情に燃えさかる盲目の炎はけっして鎮火されない青白い龍の天がけとなって、この世に呼びよせられる。

だが、この世もあの世も未分化のままに混濁した状態で感じとられ、しかも超絶技巧のピアニストの弾む鍵盤が踊りだすごとく、時間に乗じた興奮を一糸乱れ生じさせないのと同じく、混迷さなかの瞳のむこうは異常なほどに澄みきっているのだった。
論理を破綻させてようやく白痴と呼ばれる称号が、ここにきて付与される。
言葉は怒濤さかまく急流を乗りこえて、波間からあっと云う間に選られ新たなる輪郭を表出する、白日夢は完成された。
阿弥陀如来の左手は聖なる陵辱であることが諭され、だが、右手は制止の態でも領諾の謂いでもなく、ことさらあわてるまでもなし、生命に宿る情欲を鼻息で無粋なものにしてしまわず、かと云って朴訥な野趣に慢心することも能わない。
そんなのささやきをもらしているのは果たして誰なのか、苦笑さえも降りもののように我が身にしてしまうと、孝之はためらいを覚えないまま、初恵のくちびるを奪うよりさきに、薄地のワンピースのわずかに開かれた奥深いところをかき分け、慈しみをこめ左手でまさぐるのだった。