美の特攻隊

てのひら小説

蛇の歌

うすら笑いを張りつけたのではないだろう、見方によって苦笑にもとれる顔つきには、分別くささがのぞいていたし、また木漏れ日の加減のせいか、その影が光線を退けるよう戯れに誘われた無邪気さは、本来の性質をあらわにしているとうかがわれた。
「お嬢さま、むこうの茂みには毒蛇がおりますぞ、近づいてはいけません」
「聞き飽きたわ、ペイル」
振り向きもせず吐き捨てるように抵抗したものの、その足取りは陽気な微風がまとわりついたまま、号令を待ち構えているかに見えた。
忠告せずとも分かりきっている、拗ねた様子は見せず小さな肩を怒らせ、老人のまなざしから遠ざかった。

「シシリーや、お譲さまには困ったものだ。わしの目が届くのを知ってながら、わざと草むらに入ろうとする。なあに、本気じゃないさ、危険なまねごとをしているだけだよ。しかし蛇のほうが飛びだしてきては大変なことになる、お陰で寿命が縮むってものだ、ほら、このとおり冷や汗をかいておるわ」
城の外へ一度も出たことのないシシリーにとって、この敷地内はわが庭同様、番犬としての務めはなかば遊びを兼ねており、また十分な食餌をあたえられ、のびのびと育った体躯は躍動に満ちていた。
シシリーはペイルの吐息が理解できた。しゃべれるものなら「だいじょうぶ、蛇なんか寄せつけません」そう胸をはって答えたかった。
いつになく鼻の湿りが気になり目覚めたシシリーは、季節風の地鳴りみたいな音を耳にした。
べつだん驚いた様子はなかったが、風雪に閉ざされる山々の景色を眺めていた記憶がめぐってくるようで、微かな動悸と倨傲な信頼を覚え、毛並みをゆっくり震わせてみた。
老躯を被う暗幕のような気弱な念は、亡き城主の令嬢の所業を案じ嘆息することで、かろうじて日毎の支えとなり果て、わが身にせまりつつある闇の気配を暗渠に流しこんでいた。

そんなある日、封印しておいたはずの甕のふたがゆっくりと斜めにずれるごとく、古く軋んだ音像がペイルの顔色をくすませたのち、鈍いひかりを放った。
それは唐突な衝撃と云うより、内緒話しを立ち聞きしてしまった躊躇いにうながされる密かな悦びをはらんでおり、病苦に苛まれる際の光芒に似た寄り道となった。あたかも黄昏が明るみを駆逐する勢いを鋭く見守る渋面の照り返しのように。

「しかしお譲さま、どうしてそんなことを聞きたがるのでございます。ニーナなんて名は耳にした記憶がありません。どうせかつての使用人が戯れにうわさし合った村はずれの小娘かなんぞ、そのような風聞なら忘れ去って当然、昔話しの好きなお嬢さまならおわかりでしょう。季節風にでも乗って舞い戻ってきたのでは。そういう不思議はあり得ることですから」
「いいえ、よくお聞き、私は子供じゃないわ、おまえが思っているほどにはね。風に乗ってきたなら誰かが飛ばしたに違いないのよ、それとも鎮守の森の妖精のしわざとでも言い張る気なの。さあ、この眼をみなさい、まっすぐに、そうよ、それでいいわ。では話してちょうだい」

ペイルの困惑は脇腹を這うときの虫の気配と同じで、たいそうな不安を生み出してはその反面、暴君のふるまいを想わせる優越に溺れかけた。
その証しに眼光を扇でふり払う仕種で首を麗しげにすこし傾けたのである。
令嬢の憤怒はさながら薄氷に透ける淡い影絵となった。
むろん相手はペイルのそんな反応を見逃しはしない。すぐさま語気を強め、
「あくまでとぼける気なのね、残念だわペイル、おまえの寿命はなお縮まるでしょう、ええ、このわたしがそうしてあげると言っているのよ」
その言葉尻には濁水のような不快が沈殿しており、今にも撹拌され浴びせられる心持ち哀れな家僕に残された方便はひとつしかなかった。

「よろしいです、お嬢さま、では申し上げましょう。ニーナはおっしゃるように鎮守の森に眠っているのでございます。そして、、、そのすがたはあなたさまの後ろに見えるのです」

令嬢の顔つきが一気に変わるのをペイルは、落とし物を探しあてたときの安堵のまなざしで見届けると、それまでの緊張をもてあそぶ余裕をたぐり寄せ、
「ですから、あまり大きな声でお話しできないのですよ、お嬢さま。この城に古くからいい伝わる悪いしらせなのでございます。わざわいなきよう、先代がどれほど悩んだことか、もうこれより先は私の存ぜぬことがら、たとえ関わっていたとして、とてもとても、、、お許しくださいませ」
と、舞台俳優をまねた声色をなびかせた。

その先の経緯には触れてある。
持病の発作を起こした素振りも毒々しく、もの言わぬシシリーに暗雲を被せると案の定、手招いた精霊の憑依を受け入れたのか、暴言を吐き散らかすことで無垢な邪心をなぐさめるしかない灰褐色の瞳を見定めたのであった。
ペイルの心境は老衰や病苦に侵されておらず、ただ霧をかき分けたまばゆい光線が、夜明けとも夕暮れともつかない時間が、鮮烈にひろがる様へ包まれたのであり、苦難の額を近づける城主から持ちかけられた、あの忌まわしさは闇に紛れ、視界より消え失せた残像に重なり合うのだった。
暁光が訪れたとき、ペイルは永遠に目を閉じた。