美の特攻隊

てのひら小説

鏡像

さげすみに甘んじる気性だと自他ともに認めだしたのはやはり夫人を娶ってからであろうか。
ロベルトにしてみれば初婚であったが夫人はそうでなく、事情はどうあれ先代と昵懇の家柄にあった娘はひとりきり、誓約をかわした証跡があったとは思えない、何故なら卑屈な精神にひそむ羽毛のような感覚はいともたやすく両親や眷属、さらには目の色をうつろわせる召使いたちの表情の動きを読みとることができたからであった。
執拗なまで軽やかに舞う塵のごとく。

かの家系にとってそれが政略婚儀の意味合いを含んでいたにせよ、おさないロベルトと少女が互いに大人のうしろに隠れ足もとを揺らしてしたのはとても想い出深く、また小鳥のさえずりのような清らかな調べに成人のあかつきは婚礼が待ち受けているのだという、甘い夢見のささやきを身勝手に聞きとっていた慢心も懐かしい。
しかし両耳は明暗わけ隔てる機能を有しているのか、霞がかった暖色に透ける夢とは異なる、干上がった沼地の暗澹とした悲愴をも甘受して、いわば両極からのせめぎ合いに自ら立ち合うことにより中庸の心境を保っていたのだ。
ロベルトの瞳へ映った少女の面影に薄皮一枚のところでかき消えてしまう予感が生じたのは無理もない。
遠い地の親族よりも頻繁に顔を合わせていた現実は、来たるべきゆく先の素描を生み出し、その色彩は決して鮮やかな筆使いを寄せつけはしなかった。
ロベルトの願いは素描すら引き起こさないよう、あらかじめ画用紙を破りすてることに集約された。
つまりは将来の夫人のすがたを別人に置き換えることで矜持を永続させ、さげすみから逃れる術へ転化し、童心に宿る未来像をより曖昧なものにした。不透明ではなく、不純物を取り除いた末の空白に似た清廉な視界として。

記憶の底にくすぶる灰が撹拌されたのは言うまでもなかろう。
少女から乙女へときらびやかに、そしてかぐわしき微笑を備えた横顔を想い浮かべてしまったからである。
流言に違いあるまいと、聞き流そうとする自分に釘を差すことがいかに理不尽な態度であるのかロベルトは思い知った。
婚約者の不慮の死と向い、さぞかし悲嘆にくれている面差しを慮るともに、枯葉が寒風の気まぐれで木立を大きく離れ、とってつけたように犬小屋のまわりへ寄せ集まれば、うたた寝をきめこんでいたシシリーが目を輝かせて起き上がる、そして駆けよるのはまぎれもない少女から変貌をとげた未来の夫人であり、光景は幼年時代がさながら太古の遺跡のごとく燦然と眼前に広がってゆく。
ロベルトの念いは成就したかに見えた。
その夜、眠りをさまたげられより深い夢にいざなわれるまでは。

ほのかな灯火が鏡面のなかで揺らぎ、風のささやきが耳をふき抜け、霧が晴れたように意識が明確になると、めざめを告げる石像の笑みが届けられ、肖像画を見上げるひとりの少女が嘆きとも祈りともつかない言葉を発している情景に出会った。
深紅の天鵞絨は舞台を演出するためだけではなく、鏡と石像が触れ合うひとときを愛でるがために、冷めたからだにぬくもりを授けるために、我が身を父の名において凌辱しているのだ。
面影のまえにたたずむ少女はニーナと名乗ってから青白き月影を背にし、天鵞絨の床に一瞥をくれ、ロベルトの手をとり、めくるめく回廊を抜け大地の裂け目へと導いた。