美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜1

みどろ沼、ここがわたしの住んでいる、あっ、ちょっと違うかな、でもいいか、他にも仲間がいるしね、とにかく毎日の意識が発生しているところです。
順を追ってお話したいんだけど、どうにも前後不覚の切り貼りだらけで、意気消沈が長かったせいもあって、うまく筋道を運べないの。でも時間は存在してるみたい、朝も昼も夜もくるから。
じゃあ朝ごはんに何を食べたのかって聞かれても即答できない、変でしょ、普通じゃない、すんなりと理解してくれるなんて思ってないし、そうだとしたらしたで、それっていい加減ねって逆にふんがいしてしまうわ、きっと。わたし自身が妙だと感じてるんだから、立場がもし反対だった場合、決してはいそうですか、なんてうなずかないという事情から始めたいのでよろしくお願いします。

 

過去の記憶があいまいかっていうと、そうでもないのね。ここで目覚めたときの印象は強烈に残っているし、まわりの気配もおっかなびっくりだったけど、探ってみようって意欲はなくしてはなかったのよ。
暗かったわ、街の灯りがすべて失われ、夜空の星がみんな消えてしまうより真っ暗だった。目は開いていた、耳も聞こえていた、鼻はくんくんできなかったな、なんせ沼ですからね、今ではまるで水棲動物みたいに嗅ぎ分け可能だけども、最初は視覚より聴覚が勝っていた。座頭市しってるもん、めくらは耳が発達しているんだ。
もっともわたしは花も恥じらう女子高生ですから、仕込み杖なんかふりまわして斬ったはったとかしません。それどころか自分でいうのもなんですが、けっこう男子から言いよられたり、なかには後輩の女子もいたなあ、つまりそこそこきれいな娘だったわけなのです。
もうこれ以上は言わないでおこうっと、あんまり自慢ばっかしてると嫌われてしまいますからね。で、耳を澄ましているとなにやら声が伝わってきたの、ひとの言葉よ、かなり離れたところから聞こえてくるんだって感じてたけど、そうじゃなかった。ひそひそ声だった、どうやらわたしのことをあれこれ詮索しているみたい。はじめに言葉ありき。

「まだ若い子じゃないか、どうしたもんだろう、きちんと説明してあげたほうがいいのか」
「いずれ、気がつくのでしょうから、そのほうがよろしいかと」

ピンときたわ、とりあえずわたしの身には異変が起っている、それは相当なことで、かなりの勇気がないとその異変を受けとめきれそうもないとすぐに了解した。わたし、子供の頃からけっこう好奇心おうせいだったんで、ひとりで陰気くさくしたり、どこの誰ともわからない連中のうわさに縮こまっているなんてまっぴらでした。それで、こっち側から問いかけたんです。
「あのう、わたし大丈夫ですので、説明をぜひとも」
多少はひかえめな口ぶりだったわ、あんまり元気過ぎたらいけないような心持ちがしたの。だってどう考えてもいい報せなんかじゃないだろうし、不吉な影に覆われているのはこの視界の悪さが証明している。
それでも魚心あればなんとかっていうやつね、わたしが意思を抱いたとたんにぱっとまわりの風景が開けた。ええ、それは驚きましたとも、腰を抜かさなかったかわり、目が点になったわ。だってここ水底なんだもの。どうしてからだが水分を感じとらなっかったのか、よくまあ呼吸できたもんだ、もうだめ、わたし人間じゃない、常識って言葉が何十回もあたまのなかをぐるぐるまわっていた。

風景、まず目にしたのはさっきの声の住人、カエルの顔したおばさんとなまずのおじさん、よくわかんないわ、なんなのこのふたりは。疑念の回転は相当な速さだったみたい。なぜなら、なまずおじさんはこう話しかけてくれたの。
「おお、そうかい、じゃあ、気を確かにな。辛いだろうが悲観するだけが思念ではない」
「同感です。どうぞ遠慮なく」
わたし、なんだかうれしくなってたわ、地獄に堕ちたとしてもこのひとたちとこうして会話ができる。驚きは一歩も二歩もさがって、悲しみはまだ到来してなかった。
「あんたは死んだんだよ。もう生きていない」
なまずが喋るもんだから、おごそかな言葉は別の意味にとらえられて仕方なかった。でも飲みこんだわ。
「だと思いました。こんな水底で生きているはずがないです。それにおふたりと対面しているのも生きていたら絶対に無理だったでしょう」
「この娘はものわかりがいいですねえ」
カエルおばさんは実に優しそうな顔をしている。そこで、つい言ってしまった、悪気なんかないわ、こころに浮かんだことを真面目に、いや、ちょっと現実逃避はいっているかな。
「あのう、ひょっとしてここはムーミン谷みたいな場所じゃないですか」
互いに顔を見合わせていたからどうやら的外れだったようね。
「なんだいムーミン谷って」
今のわたしは説明を求められる立場じゃない、その正反対なんだ。
「いえ大したことじゃないんです。ものわかりいいと自分でも思います。続きを教えて下さい」
なまずおじさんはいかにもっていうふうにうなずき、淡々と語りだしたの。
「あんたはどこかで殺されたんだ。そのあとこの沼に捨てられた。ほら首にまだ絞め殺されたときのあざが残っているだろう。この鏡で見てみなさい」
さすがに血の気が引いていくのがわかった。手鏡を持つ指先は脱力しているのか、よく首筋を確かめられない。
「それとだね、殺されるまえに、強かんされている」
鏡がまっぷたつに割れる幻覚が直撃した。いくらなんでも酷すぎる、可哀想すぎるわたし、まだ処女だったのに。今度はひきつけを起こしたような激しい衝動が猛烈な速度で回転しはじめた。回転は長く感じられ、そのあげく怒りと悲しみに占拠されてしまったの。
「犯人は誰なんです。逮捕されたんですか、死刑ですよね、顔見知りだったりして、まさか同じ学校の生徒、、、そんな、、、」
「すまないが知っているのはここに沈んできたことだけだよ。もぐら先生が検視した結果とな」
なまずおじさんは顔を歪めながらそう話し、カエルおばさんはうっすら涙をにじませている。
「では、陸に上がれないんですか」
われながら飛躍した意見だと思ったが、そう問わないといてもたってもいられなかった。こみ上げてくる様々な感情は一息に沼から飛び出すだけのエネルギーを持っていたから。
「そうでもない、ただ、自由気ままというわけにはいかないんだ」
これから先が大事なところです。わたしにとっても沼にとっても。