美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜6

とりあえず客室になるのかな、なんか物置き部屋って呼んだほうがしっくりするようだけど、気遣いなのかひがみなのかわからなさに我ながら嫌気がさして、しきりに恐縮がっていたカエルおばさんの面持ちがまぶたの裏にしみこんだころにはもう意識は薄らいでいたわ。
ベッドのきしみも古めかしいのになぜかしら気分がよかったの。
眠り落ちる寸前の光景は奇特なことにデジタル時計が点滅する様だった。わたしの記憶は残存している、今は散らばり色あせているけれども、必ず焦点で結ばれるときがやってくるような気がしてならない。
それは逆効果だって聞かされたけど、でも未練や執着のみなもとですからね。たしかに呼び覚ます行為自体に難があるのはうなずけるし、幽霊の本義からはずれてしまうって笑うに、、、いや泣くか、泣くに泣けない定めが立ちふさがっていますよ。ところが眠りのさなかにかいま見る情景が生前のあり様かも知れないなんて、好奇心どころか本能までつきあげてくる言い方は耳にこびりついて仕方ありませんよね。
もし本当だとすれば睡眠中はまさに此岸への架け橋になる。泣き笑いです、うれし泣きです、ならいっそのこともう一度死んだらよみがえるのでしょうか。いやいや、そうは問屋はおろさないでしょう、幽霊は不滅みたいですから。
見世物とか飼いならされている境遇とかに合点はいかないけど、背後に計り知れない意志がひかえているとしたら、それはそれで見ものにちがいありません。はい、見世物から立場を逆転しましょう、そうしましょう、なんて考えに酔っているうち、睡魔はそつなく役割を果たしてくれたみたい。

はっと目覚めた。瞬時に脳裡をよぎっていったのはデジタルじゃなくチクタク時計の秒針だった。ほっとしたわ、沼暦10年はもうたくさんですから。
あたりをみまわせばベッドの脇には花柄のカーテンが閉じており、花模様が生き生きと浮き立たせたぬくもりが目に安らぎをあたえてくれている。これってお日様、、、そのとき天啓を授かったみたいに全身がびりびりしてしまい、縮んだのか開いたのかよくわからない瞳孔は不可避的にカーテンのとある一点を凝視することで、思考をなめらかにたぐり寄せるすべを得たわけです。ちょうど鍵穴と向き合ったときに感じる絶大なる期待ですね。
こういうふうな意想でした。溶液なんだ、この沼はある溶液で充たされているが、実際にはなにも違和感が生じないところからほぼ気体に近い、もっと勘ぐればあえて水棲動物的な錯覚を引き起こすためにこんな仕掛けが設けられているでは。
どうして早く理解しなかったのだろう、沼なら上方へと泳ぎまわれるはずじゃない。ついつい目先の事象に圧倒されっぱなしで冷静な判断の鍵を忘れてしまっていた。
台所の火もパイプから煙も出るわけです。第一に魚をまったく見かけない。そりゃカエルとなまずの住人とは出会いましたけど他には誰のすがたもありません。まだまだ日が浅いからと考えるのが無難なのでしょうけれど、これは由々しき問題です。さっそく訊ねなければと、環境から住民問題まで一気に飛躍したところまではよかったのでしたが、今度は天啓とは正反対の感覚にうしろからしがみつかれました。ぞくぞくした寒気とともに。

夢を見た。そうなんです、華々しい霊界の一夜にして夢はわたしを抱擁してくれたの。で、どんな内容だったかといえば、これがどうも抽象的すぎてうまく言葉にできない。でもつたなくとも思い返さなければ。
夜よ、ちいさな灯火がいくつか穴を開けたみたいな感じで周囲に馴染もうとしていたから。あんな物悲しさは夜に決まっている。夢中っていうけどあんがい平然とした心持ちだったし、天空を仰いだりしない、きょろきょろもしない、まさか思索に耽っているとは思えないけど、ぼんやりした心境は微風に揺れる灯火に意を介さなかった。つまり当然のごとく夜景へとけこんでいたのでしょうね。それだけしか思いだせません。
しかし収穫はありましたよ。なまず家での眠りはおそらく夜でしょう、お昼寝、とんでもありません、いくらわたしが疲れているからってそんな心配りでふたりも寝室に入ったとは、、、いえ思い過ごしではなく実に自然な雰囲気で沼底に夜は訪れていた。
それさえ誰かの目論みだとしたらもうお手上げです。この朝日も作り物になります。だからこの辺で妥協するのが賢明だと思った。懐疑にきりはない、とりあえず自分のまなざしの及ぶ範囲、感ずるべくして得たものを土台にして切りだすしか方法がないもの。それらが臆見によってもたらされているとしても、やはりある程度の質感が重視されるように、肌に触れる感覚に従ってみるしかありませんよね。
沼と思い込んでいた場所がそうでないという確証を持ち始めたなら、あとは可能な限り予断と相談しつつ、まあ焦るもよし、のんびりもよしとにかく前に踏み出さなければ答えはけっして導かれない。もっとも猶予なんてひかえてくれているのかそれこそ冒険じみてますけど。
怖れだてありましたとも、ふっと手軽な扉に入りこんでしまったら10年ですからたまったものじゃないわ。いくら不滅とか永遠なんて諭されようが、時間は時間よ。わりとまともな思考でしょ。ええ態度のことよ、投げやりじゃない、それにふて腐れてはないし、臆病小心は仕方ないとして身構えは整えているつもり。殺害されたって事実には正直なところ段々と悔しさが募ってきたけど、はからずも意識は明滅してますからね、少なくともカーテン越しの明かりと、夜の夢をつかみとっているわ。恨みはいつかはらせればはらすことにしておこう。

「おはよう」
「おはようございます」
朝の挨拶は気持ちのいいものですね。朝食もまた野菜ごろごろのスープでした。パイプの煙も健在です。
「夢はみたかね」
まるで朝刊は読み終えたのかって問うているような口調でなまずおじさんが言いました。
「はい、夢の一夜でした。ぼんやりしてよく覚えてないのですが」
「そうかい、最初はそんなもんだ」
「えっ、ということは次第に明確になるって意味なんでしょうか」
「すでにそうなりつつあるじゃないか」
「あのう、どういう、、、」
「眠りつく前に考えごとしなかったかい、それと目覚めを疑ってみようとした」
「よくお分かりで」
わたしは誘導尋問の案配で言葉をそよがせるしかなかった。
「扉の奥も決して悪い時間ではない。それはあんたが一番心得ておるはずじゃ。無念が先行しているのはその確たる証し、だいじょうぶ信じる信じないではなく、見つめるか見つめないかなんだ。あんたは沼を見渡した、といってもごく一部分だがね。あとは向こう側からやってくるよ、いやいや白馬に乗った王子様がさっそうと駆けてくるのではなくて、来訪とまなざしが結びつくんだよ。風と風車のようにな」
「はあ」
「それから生前意識の到来は必ずしも禁物でない、あくまで道のりを悪くするだけということさ。あんたは子供じゃない、ひとりで顔も洗えるし、食事もできる、言葉も喋れる、口答えだってその気になればできる。なるだけ早く自分の家に向かいなさい」
「ええ」
力強い声にはならなかったけど、誰かにすがりつきたい思いは軽減されていた。
「二三のことなら質問に答えよう。あまり教え過ぎるとかえって仇になるからな」
その意味合いはそれとなくかみしめることが可能だった。むしろ自分から望むべきだったわ。では絞りこまなくては、、、なにしろ不思議の世界ですよ、死後なんですからね、初体験のうえ、現実という馬車に引かれるれている確信すらなく、色々聞きたい知りたいのは関の山、苦慮するより軽やかとまではいかないけど、口笛みたいな問いかけが流れでたの。
「ではお聞きします。ただの幻覚なんかじゃありませんよね。つまり一切が自意識で構築された世界であり、しかも負の重みを背負っている。ふたつめは重みは仕方ないにしろ、この沼は人工的な仕掛けが施されていませんか。昨日おっしゃってましたあの言葉です。もし知らぬ存ぜぬが方便ならそれ以上はけっこうですけど、これから他のひとたちとめぐりあえるのでしょうか。おじさんおばさんだけなんていくらなんでも寂しい、ごめんなさい、こんなにお世話になっておきながら」
「それだけかい」
「これだけです」
わたし少々意地を張ってましたね。あとで後悔しました。
「夢の件はいいんだね」
緩んだ意思はときに余計な緩みを願ったりします。けれども決して自暴自棄な性根に毒されていなかった。
「夢こそが自在と希望だと気がつきましたから、秘密は自分自身で見届けようかと」
「たいへんよい心がけじゃ。精々気張りなさい」
「ありがとうございます」
「さてと、これでわしらともおしまいになる。あんたは自分の住む家へと、そしてふたたび顔を合わせることはない。だからしっかり話しておくよ。だが微に入り細をというふうにはいかない。それは了解してもらえるだろう。永遠と居並ぶはめになりかねん」
「わかりました」
なまずおじさんの表情に永遠なんか似合わない。居並んでいるのは絹のような感触の厳しさと、歯ぎしりしたい優しさだったわ。
それにひきかえ、、、わたしのこころに広がった波紋は緩やかではあったけれど見苦しい線を描いていた。
結局は怨念が支えになっているだけで、口先は見苦しさをごまかすためにあえて節度を生み出そうと躍起になっている。とはいえ、これがきっかけでも別にかまわない。念力に善悪があるのかどうか試してみるのもいいかもしれません。