美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜7

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ。だからよくお聞きなさい。もう会うことはないのだから。あんたが家へ向って歩き出し、途中で忘れものをした素振りでここに戻ろうともそれはあり得ないと言えば、どうかな。奇妙に聞こえるだろうか」
なまずおじさんの話し方に刺を感じるのは否定できなかった。
奇妙という絡まりとは別に、どこかしら不穏な秘密が薄笑いを浮かべているようで、気色が悪いよりか、突き放されている弱みが影法師になってじっと佇んでいる思いがし、こわばってしまったの。
それは当然の成りゆきなんだろうけど、覚醒なのか生まれ変わりなのか、うまくいけば結構ありがたい思惑が肩すかしをくったのだから、わたしの怯えが引き起こした、そうつまり期待はずれってことになるわね。この期におよんで今さらって非難されても仕方ないわ、目覚めからあるいは誕生からさほど年月は経っていない。
むろん扉のなかの時間は差し引いてよ。朦朧とした意識なんてときに即すべきじゃない。いかにも現実主義者の意見で呆れてるかな、でもそうなんだからどうしようもない。で、現実の話しに立ち返った。

「ええ、よく分かりませんが、すべて自意識が織りなしているふうな怖れを感じています。そしてまったく反対とも」
わたしの口調は決然としていない。が、すでに質問に切り込み、指先程度にすぎないけど思いあたる節があった。無駄口はひかえよう。
「多くは語るまい。あんたの聞きたいことはそれほど込み入っておらんしな。わしらふたりはいわば門番なんじゃ。そう沼の門番、あんた専属の、、、だから見送ったらそれで務めはおしまいになる。
見聞きした事ごとは記憶されるだろう、しかしわしらの存在は急激に薄れ、やがてあんたのあたまの中から消えてなくなるよ。ちょうど、ひらがなカタカナを習ったときの光景を大半の者が忘れ去ってしまっているようにな。
極まれに当時の先生の容姿や教室に差し入る陽光の加減なんぞ覚えていても、写真や映像を持ち込まなくてはかなりあやふやだ。いや、あやふやがいけないんじゃなく、そういう宿命だってことさ。
どうしてわしらを消し去らなければならないかと言えば、ほれこのなまずとカエルの顔に障りがあるってことだ。なら普通の人間の面差しを装っていれば問題なかったろうと考えるかもな、もっともだよ。とにかくここは沼だ、そしてあんたは誰かに殺され沈んだ、魔界らしさを最優先しない限り覚醒どころか狂乱してしまいそのまま廃人か、眠りかのどちらかしかなかったろうよ。
見世物小屋めいた幽霊屋敷にこそ意義がある。そこでは恐怖を買うわけだからな。非常に前向きじゃないか、すすんで負の世界に分け入ろうとする。
さあ、これから先はあんた自身で探りなさい。重み自体にうんざりはしておらんだろ、生きていたときだってそれなりに背負うものはあったはずじゃ。しかし比較なぞしてはいけないよ、大人は大人の子供には子供の領分がある。
分別やら打算やら理想やら、ついてまわる意識とのせめぎ合いはそれぞれの器にあんがい見合っておるもんだ。みどろ沼はたしかにうかがい知れぬ領域といえよう、門番を配してあるくらいだから。あんたの予期した通りだよ。めぐりあいについては確率もあるだろうが、ようはあんたの奮起しだいだと言っておく。もう理解できているね、どんなに入り組んだ世界でも、見通しの利かない空間でも、所詮はあんたのあたまがキャッチするしかないんだ。意識は現象であり、現象もまた意識じゃ。少なくともあんたひとりだけなんて空想するほうが難しい」

最後の言葉だけ語気を強めたのは別れの悲しみに執着してしまいそうなわたしを見抜いていたからに違いない。
かなり緊張を強いられる場面だったにもかかわらず、素直に首を下げた自分がいて、つまりもうひとりのわたしが沈着なまなざしで見守っているふうな感覚に被われていた。不意にこんな言葉がよぎった。
「付随するもの」
今は深く掘り下げようとはしないつもり、だって付いてくるんでしょ、待ってるわよ。急いてはいけません。とはいえ、この現状どこか急いてますね。番人から見送られ、わたしは家へと旅立つ。まさか縮図ではないでしょう、幽霊の世界が見世物小屋だしたら、それはありえそうだけど。
こうしてわたしは二度と会うことのないなまずとカエルの両人の顔をしみじみと見つめ、こらえきれない涙をためきれず、お礼の言葉は鼻水まじりで、それでも深々と垂れたあたまに去来するのは悲哀ばかりで雑念は退けられ、真面目に笑顔なんかつくってみた。
ふたりの表情はまるでよく磨かれた鏡みたいな光沢があったわ。映りこむものはかなり美化されていたでしょうけど。
もう聞きたいことはないと言えば嘘になるけども、消えゆくふたりに対しおんぶに抱っこはあり得ない。あきらめを際立たせるのは新たな目標を打ち立てた瞬間よ。
「いずれとは思っていたけどわたしを殺した犯人を探し出す。そのためには幽霊だって魔物にだってなりきろう、廃人は遠慮しとく」
胸のなかにそんな誓いを轟かせていた矢先、ごまかしのない瞬間が早くもやってきた。
向き合ったふたりの相好が薄れている。なまずおじさんのきつく結んだ厚い口許がかすんでゆく、カエルおばさんの下がりきった目尻からこぼれているしずくが消えてゆく、ああ、声にならない焦りは本物、だが手だてなんかあるわけないし、これが運命と告げられたばかりだ。
「ちょっと待ってお願い、、、」
それが精一杯のどから絞りだした台詞だったわ。
遅い、もう遅い、現象をなぞるアナウンサーの気持ちが少しだけ思い描けた。悲痛な叫びなんかじゃない、本当に悲惨で痛ましいときこそ、あきらめが霧雨のように降り注いでくる。はなからそう仕立てられている調子でわたしは次第に声を失い、涙を涸らした。
やがてこんなふうにも解釈された。もしまったくの説明もなくふたりに消えられたら、それこそ狂騒を演じ、自堕落な感情に圧しられていたに違いない。ふたりはとても真摯に門番としての役割を果たしてくれたからこそ、自分は流れる感情とともにいることができた。時間という途方もないエネルギーを供給され、まずまずの惜別に向き合えたの。
泣いた子供がすぐ笑う、なんてね、まさか、しばらく影すら見いだせないその場にへたり込んでいたわ。こんなときは都合よく流れを意識しなくなる。夕陽なんか照りつけてくれれば雰囲気もいいし、気分も洗われるのにね。残念ながら沼は明るみをわずかだけ保ったままで乳白色によどんでいた。

「さてと、お家に行こうか」
戦慄が走る瞬間って若干の猶予が残されている。
なんでこんな細かいこと言い出すのかって、それはね、足なり腕なり骨ばった箇所を硬いところへぶつけるでしょ、わかりますよね、すぐに痛みは直撃しません、一秒くらいかな、そのあとやってくるのです。たまりません。
「誰か助けて」
そう一声あげるくらいの猶予があったということ。うかつだったわ、現象学の基礎みたいな問いかけなんかより、そんな高邁な抽象論より、どうして自分を家の場所を訊ねなかったのだろう。手探り足まかせでたどり着けるとでも、、、冗談じゃないわ、わたしが持ち合わせていることなんてミミズの目より小さい、つまりないに等しいってわけです。
あわてふためきましたとも。狂乱の晴れ舞台が眼前にせり上がってきた。意地や体裁の密かな手伝けを借り、かけがえのない現実をあきらめでまるめこんだ自分を直ぐさま攻撃した。ふたりはもういない、めぐりあいは可能なのか。手のひらはじっとりぬめり、額からはとって付けたような冷や汗が吹き出した。
焦燥はキリキリと突き刺す加減から勢い、ハンマーを振りかざされているおののきに移行していったわ。反面、健気にも幽霊としての仮想めいた開き直りがこころの底辺をミミズみたいに這っていたの。
「やあミミズくん、さっきはごめん。皮肉ったりして」
実際胸もとが微かにムズムズしていたのね。
閃光が発した。制服の内ポケットに手を差し入れると、わあ、ありました、ありました、ちゃんと携帯していたんですね。目覚め人の登録証、これがある限りわたしは見捨てられたりしない。配給制でしょう、必ず現れるわ、白馬の王子さまが。そしてわたしは無事にお家へたどれる。
なまずおじさんはこう言っていた。
「風と風車にように」って。とすれば「花に花車のたとえもあるさ、はなやかだけが人生さ」ときたもんだ。