美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜8

悦ばしき知識ですね。ミミズくん、きみのお陰だよ。
「付随するもの」
そうか、あれはすでに認識されたことだったんだ。ときおりよぎるランダムな語句を見捨ててはいけません。わたし自身見捨てられずにすみましたから。
ともあれ、なかなか立派な革張りの二つ折りの登録証を取り出しつぶさに調べてみますと、緑色の若々しく生き生きとした苔の色合いでした。
これはなるほど沼によく似合います。ただ読み上げるのが面倒なくらいの数字がびっしり記載されているばかり、あっ、これは見開きの方ですね。手帳ふうの裏表に記号すら見当たりません。顔写真は張りつけてられてない。
名前はと、ありましたよ一番下に、、、えっ、志呉由玲、シゴユレイ、、、これは源氏名でしょうか。ふざけた姓名じゃないですか、わたしひょっとしてお馬鹿な芸能活動とか行なっていたのかしら。それに縁起もよくないわ。そのうちはっと思いつきました。幽霊にふさわしい新たな名前をつけられたんだって。おそらく生前は異なっていたでしょう。どうあがいてみたところで沼の支配人の無粋なはからいを軽く笑い飛ばすくらいしか能はありませんでした。
それからもう一行、沼校生11年(葉魔高校2年没)
絶句、、、永遠の女子高生っていうのは静謐な気品に守護されており、香しい雰囲気を生み出していて、若さゆえの失態は現世に取り残され、ここでは美意識と協調した仕草が瑞々しくよみがえるばかりで、かつて放たれていた青臭いだけの色香と桃色的な態度は昇華されていると夢想していました。見るからに天使と呼ばせるだけの威厳さえ身にまとってね。
それがなによ、沼校生11年、まるでどぶの匂いとまじりあって漂ってきそうなうらぶれた中年女の酒くさい吐息の化身じゃない。醜い妖怪だわ、ひどいひどいわ、まったく。
あのね、沼も11年という歳月もすでに了解済みだからかまわないの、それより高校を11年っていうのが耐えられない、じゃあ来年は12年生なわけ、永遠だから卒業できませんよね。わあっ、50年生とか100年生なんて考えただけでめまいがする。
絶対に妖怪です。美しい幽霊じゃない。待てよ、容姿は変わらないんでした。わああ、でも嫌よ、中身はおばちゃん、絶対おばあちゃんになってる。

お家へたどり着くまえにこの騒ぎでしたから気楽なものかも知れません。とりあえず永遠の女子校生の外面だけをよりどころとし、内面の鈍化、神経の図太さ等の荒廃は心がけ次第、精進あるのみだと強く言い聞かせることで手打ちにしました。
登録証が傷んでしまいそうなくらい握りしめていたのは、もう肩書きではなく来るべきお迎えを待ちわびているじれったさによる力みだったみたい。
目覚めの意識とともに話し声が聞こえたなんて出来すぎでしょう。わたしは常に見守られている。悪く言えば監視されているって意味だけど、ひとりぼっちに比べれば断然ましに決まっている。どうやら敵意とか殺意はなさそうですし、殺意とか人には通じないから怖いものは孤独に尽きるわ。
ところで目覚めに立ち会ってくれたひとがよく思い出せません。とても親切にされたような気はするんだけど、顔かたちが浮かんでこないのです。門番だったのはまちがいなさそうで最初に出会ったというふうな印象はある。それより先の細やかないきさつは忘れてしまった夢と同じでまったくつかみとれない。しかし門番が存在したのなら、今度はこの登録証を検分にしに誰かがわたしのもとへやってくると思うの。とにかくあまり焦らずこころして待つべきね。

「お腹へったなあ」
温かいスープの湯気と香ばしい匂いはすぐそこにあった。
内ポケットから大事なものが出てきたようにと、他のポッケも探ってみたんだけど、胸にボールペンが一本はさまっていただけであとは空っぽでした。
ああ、つまらない、グリコアーモンドチョコレート食べたいなあ。体温でかなり溶け出したやつ、えっ、なんでそんなこと、、、が、すぐに途切れた。まるで針先にかかった魚がみぎわで外れてしまうように。
とは言っても魚なんか泳いでないよ、ああ、イカの刺身に大葉のせたの食べたい、アジも美味しいよね、味がいいからアジっていうんだとさ。ほっけの開きを始めて食べたとき感動したわ。
これらの記憶は一体どこから湧いてくるんだろう、海が連想されるから、単にお腹がすいているからなの。それにわたし感じている、ここは沼なんかじゃない、幽霊だから水を感じないのかも知れないけど。
だとしてやはりおかしい、具体的にどこがどうのってほじくってもすぐに行き詰まってしまうので、よく言い表わせないけど、怪訝な雰囲気が立ちこめているわ。
待ち人は待てど暮らせど影すらちらつかせはしなかった。空腹は段々と募りだした不安に圧迫され、ついに大声を張り上げてしまったの。

「誰かいるんでしょう、だったら出て早くきてよ!永遠の女子高生は気が短いの」

水底の静けさをこれほど不気味に感じた試しはない。
ところどころにやる気をなくしたふうな水草がゆらめいている。見ようによっては猫の持つ戯れめいた動きにも映り、ほんのちいさな気泡が見逃して欲しそうな様子で浮上しては消えてしまう。久遠の光景、わたしのどこかに同調している。
そのときだったわ。あまりにゆったりした代わり映えしないさなかに見いだした。そう気泡よ、注視すればわたしを取り囲む具合で、もっと正しく言えば、時計まわりの要領で気泡が逃げ去っているよううかがえる。もとの目線を定置とし、ぐるりと首をまわしながら水草を追いかけたわ。何度か試みて定置に生える水草の位置を秒針の12時にたとえた。ゆっくりかぶりを動かしていくとそのすぐ横から断続的に大きな、といっても豆粒くらいだけど、ぼこぼこって音が微妙に伝わりそうな気泡が発生している。
「11時」
ピンときたの。11年よ、すぐに歩み寄ると、砂底にカレイがまぎれるような煙めいた異変が認められた。何かが動いている。が、動物的な本能を発揮することなく、その場所から遠のこうとはしない。こうなったら手づかみしてやる。
驚いたわ、右手できつく握ったときの感触はまず、そしてそれが矢印一方向しか与えられてないコンパスであったことに目を見張った。勘なんて冴えるよりか先んじてあるべきものにたどり着くだけよ、なんて豪語したいくらだった。
コンパスが案内役だったわけ。ほら、スイスイよ、わたしの歩調を読み取るかのごとく矢印はクルクルと生き物みたいに知恵者を演じてくれるわ。もはやどれだけ歩かされようとも苦にならない、ならないどころか、ウキウキ気分の足取りよ。
そうね、お腹がまたグーって鳴りだしたけど一抹の憂慮は拭えきれなかったわ。随分まわりくどいうえ、とことん無人でアプローチしてくる、っていう不穏な謎めきに。
かなりの時間が過ぎたと思う。
ええ腕時計はあの時刻をさしたままだったし、例にによってあれこれ意識のざわめきと感情の色彩が道のりをほどよく狂わせた。それでよかったのよ、確信はあった。無為だとしてもかまわない。そもそも無為と仮定する性根のほうが弱音だわ。
門番にコンパス、自分の家、どこから見ても納得のいく冒険よ。とはいえそろそろ到着してもいいんじゃないの、試練ならもう十分、悪ふざけならここらでお開き、道行きでの悶々とした気持ちは端折らせてもらいますね。
ではいよいよ記念すべき日のことを語りましょう。お待ちかねの様子でした、はい、見知らぬ住人がです。