美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜14

学校の廊下ってこんなに静かだったかしら。
今はわたしと先生だけだからそう感じてしまうかも、しかし実際には人数の問題ではなくて、これは変かも知れないけど何者かがこの廊下を、いや、おそらく教室を学校全体を制圧しているような気配がする。
管理者らしき沼の支配人がわたしをじっと観察しているのだわ。
そう感じてしまうのだから仕方ない。でも平社員の分際で社長と会談するなんて恐れ多いなどという考えに導かれまして、はい、学生なので就職が念頭をよぎることもありそうな気がし、そんな類推で自分をなだめすかしてみたのでした。
門前より眺めた校舎の造りからするとこの廊下はいやに長く、時間が床を這ってそうな実感にとらわれてしまう。けど無限なんかじゃありませんよね。わたしの足音はたやすい逢着のひびきをたてている。
それより先生けっこう早足でして、わたしの気分はまだまだふさがっているようで、へだたりが響きに歩み寄っているのか、それとも響きがへだたりをひろげているのか、とにかく安易な心持ちに蜘蛛の糸が絡まったみたいに足取りがもたついてしまうのでした。
右手にはガラス窓が間隔を置いて並んでおり、見慣れたのやら珍しいのやらよく分からない光景が収められている。教室らしき扉に行き着いたのは、ぼんやりしたあたまがからだをふわりと浮かべてくれたからであって、わたしの意志はあらぬところをめぐってたようですね。
とにもかくにも11年ぶりなのです。
記憶がない分まっさらの新入生として意気込みは必要だから、空元気でもいい、きちんと挨拶しよう、そう念じたものの鞄を握った手は汗ばんで、顔がこわばっているのが不自然な感じがし、軽く深呼吸してみました。

「みなさん今日から転入することになりました、志呉由玲さんです」
吸気が知らぬ間に距離を縮めたのか、すでにわたしは教壇の脇で先生と並んでいました。
それまでの場面はカットされたみたいで、たぶん肉眼を通して映りはしたんでしょうけど、脳内が編集してしまったようですね。まあ、この場合それでよかったのだけど。
さて教室のみなさんです。これは編集しなくてもよさそうでした。生徒は3人だけ、男子1名、女子2名。いっせいに直線を走る冷たいまなざしがわたしに向けられると、決して好意的な顔つきを見せないのに興味あるくせ表情の裏には、別の普段着へ袖を通しているような、意味もなく冷蔵庫のドアを開くふうな、何かありきたりなことだと見下している面を張りつけているのがまざまざうかがえた。
面倒くさいんです、そういうの。
あなたたちがそうであるのと同じく、わたしの面持ちだって歪んでいると思う。そして気取りと小胆が表裏一体のうちに袋小路へつき進むことを忘れ去り、さっき廊下の果てに想いを運ばせた心情を読み取ろうとしないのも一緒。
最初の場にはなじみという枠組みがあらかじめ解体されたまま散らばっていて、軋みを気取られない素振りで新たな人手を、自分たちすら棚上げした情況に引き込もうと待ちかまえている。ちょうど呼気が声なき声をふくんではちいさなほこらに吸い込まれるように。

「転入生の志呉です。よろしくお願いします」
わたしはいかにもあかるい素振りでペコリとあたまを下げました。
すると思ってもみない反応が、、、笑みこそ浮かべてはいないけど、ポテトチップスをかじったくらい軽い拍手で迎えられたのでした。こうなれば少しは元気がわくもの、本来20人くらい生徒がいそうな教室の閑散とした空気は遠のいて、小走りしたい自由な雰囲気がひろがったのね。
わたしは3人に近寄ってもう一度、ちょっと真面目くさった顔つきで会釈した。で、さらなる反応を得るより早く先生のもとに引き返し、まるで軍隊式の直立不動の姿勢で指示を仰いだわけ。
まあ精一杯の印象づけってとこかしら、ニコニコしてるだけじゃいけないって怖れに支配されていたのね、きっと。
3人は机をひとつづつ空けて並列に座っていた。わたしは左右のどちらかね、そう案じてたら、
「志呉さんは一番まえに」
って言われて、それまでの華やぎなのか投げやりなのか、わからない気分が吹っ飛んでしまった。
結局ありがたみのなくなった謎めきに舞い戻ったってこと。
学生なんです、規律は守ります、勉強だってしっかりやるわ、なのにどうして差別されるわけ、先生も他の生徒も幽霊なんでしょう。よほど11年生は不始末を犯したわけなの、だったら今すぐにここで説明してほしい、洗いざらいすべてを。
わたしの憤懣を見て取ったのか先生は温和な目色で、しかしもの憂い瞬きを用いながら、こう話しかけてきた。
「あなたは学年では先輩だけど、お勉強に集中してもらわければいけないの、ブランクを取り戻すのは簡単じゃないわ。よそ見や私語なんか無論ないとは思うけど念には念をいれてその席でがんばりましょうね」
ブランクって言葉が波紋のようにひろがった。同時に底しれない空洞を作り出し生理的な悪寒が走った。
もう反抗する気概はうせていたわ。悪意に満ちた沼底では怒りの感情が、炎と熱風を模した関係におさまってしまい、鎮静を望むまえに災禍に立ちすくむ放心へうながされる。
あれこれ質問してはいけない、、、わたしはあのとき強制労働者の心境を裏ごしし卑屈な気分にはまってみたけど、現実に降り掛かってくる火の粉は恐ろしい勢いをふるって、すかした思いなんかあっと言う間に焼き払われた。
渋々じゃない、自動装置に流されるれる体勢で指定された机に着いた。いよいよ授業が開始される。出席簿なんてとらないわよね。えっ、規律、礼、こんな数少ない生徒なのに、まさか、、、

「ヨゼリ・ベロニアさん」
「はい」
「マリアーヌさん」
「はい」
「フランツ・カルフくん」
「はい」
「志呉由玲さん」
「は、はい」
やや脇が汗ばんだけど、これで3人の名前を知った。つまり先生は最低限の自己紹介をわたしに示してくれたんだ。なんて勝手に考えているうちが救いだったと思います。
ちょっと待ってよ、なんでみんな外人の名前なの!どうみたって日本人でしょう。
脇の下が冷たくなるまでいかに早かったか、めまいの訪れをこばむ間もなく、けれども目の奥のほうでは万華鏡に似た鮮明なかがやきがやんわりと渦を巻いているでした。