美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜18

きのうのこともあり校舎が近づくにつれ多少は緊張するのかなって思ったけど、なんか日々の流れに乗っかっているようで、わりと気安い足音を意識していました。
早くも習慣に毒されたのでしょうか。まあ、わたしの場合10年学級とやらにも在籍していたみたいだし、通学は日常のひとこまなんだろう。
しかしこの森閑とした空気はいただけませんね。大勢の生徒がおしゃべりしながら校門をくぐる光景からあまりにかけ離れている。気がかりといえば人気のなさには不穏な秘密がありそうで、捨てておけなかったけど、考えこんでも仕方ないのでそのまま直進するしかありません。
「やあ、おはよう」
まえの日は見落としていた犬の石像にあいさつした。
たぶん等身大で変哲もない犬種はわからないけどいかにも犬らしい風貌だ。そこは片隅というほどじゃない場所だが、特に目立つ位置でもなかった。それにあまり可愛くない。
けど数少ない教室の他におはようと言える者が見当たらない以上、たとえ可愛くなくとも、ありふれていようとつい近寄ってしまう。好奇心かしら、そうね、そういうことにしときましょう。犬くんまたね、あっ、メスかも知れない。今度たしかめてみよう。
廊下を歩く途中もまったく人影に出会わず、安静患者が息をしているみたいな教室のまえに立った。
はあ~、ほんと深呼吸がよく似合います。おもむろにドアを開けるれば、ちらりと視線が、、、みんなもう着席している。
「おはよう」
「おはよう」
相変わらず3人とも気迫がないけど、幽霊仲間の朝のかけ声としては上等でしょう。
けど、この席どうも落ち着きが悪い。幽霊が幽霊を背負っているみたいな不気味さとでもいうのかな、いやさほど気味悪くないですが、洞穴を背にして立ちすくんでいる冷ややかな圧迫感があって、ようはみんなの目線がわたしの背後に集まっているかぎり、これって居心地はよくはないでしょう。

さて先生のお出ましだ。
今日も思い浮かべられないよく似た女優の名前にとまどっているうちに、清潔な笑みが教室全体へ投げかけられた。絶対に刺のある一瞥をもらうとハラハラしてたんだけど、考え過ぎでしたね。
先生はもし腹にいちもつあってとしたところで表面上は毅然としてるから、わたしは自分の小心に増々縮こまってしまうのです。
不要だと思う点呼を行っていよいよ授業開始、黙って拝聴しますか。わたしの仮装の件は遅かれ早かれだから、どんなお勉強か興味がそそられる。教科書だって配られてないくらいだからね。
「みなさん、今日も昨日の続きです。予行演習ならびに心構えの問題です。あっ、志呉さんは早退したから人一倍精進しなくてはいけません」
精進ですって、大層な言い方ですね、自分から望んで早引けしたわけじゃないのに。それに文化祭ときた。一番目はとにかくわたしでしょうが、早く質問してよ、こっちはしたくても出来ないんだから。
「では志呉さん、仮装の企画はまとまりましたか」
やっぱりはなから直撃です。待ってましたと言うのはどっちなんだろう、なんて下らない念をよぎらせながら立ち上がりました。
「はい、よく考えてみました。睡眠学習もやりました」
すると先生は目を大きく見開き、
「えっ、睡眠学習ですって」と言ったまま、じっとわたしの顔を見つめてる。
一瞥どころじゃない、それは後ろの席にも伝播したのか、声にならないざわめきが両耳を囲い、さらに冷ややかな沈黙へと落ちていった。
威厳でしょうかね、気位かな、それともとまどい、先生はわたしの話しをさえぎったのではなく、とても関心を寄せているのか、詳細を知りたそうな様子があきらかにうかがえた。
しかしですね、わたしはだんまりを決めこみましたよ。質問が御法度なら相手に喋ってもらうしか手はない。
ごほんと咳払いしたのはご愛嬌か、先生はこう尋ねてきた。
「高度な学習法ですが、それでなにを学びました」
真正面からの問いかけだ。
それだけ注意をひく発言だったのだろうか、なんか主導権がこっちにまわってきたような気分になり、瞳にひかりが灯るのを覚えた。といっても後ろの3人のほの暗い気配が束になってどんより足許まで垂れこめていたから、差し引きゼロってことになるわね。
「先生から指導された缶詰理論を考察してみました」
「えっ」
今度はまぎれもなく先生の目が輝いた。
「わたしに言ったじゃないですか、冠は冠、缶詰は缶詰、そこでかなり反省しまして、行動原理主義にたどり着いたわけなのです」
「それはすごい飛躍ですね。で、企画は」
「はい、地縛霊がありきたりで不毛なら、祟りはつきもの、そうはいかぬぞよ、うらみつらみの人情よりか、咲かせてみせましょう、恋の花、散らせるものか、助けておれくなまし、っていう感じなんですが」
いやはや自分でもびっくりするほど、古風な弁舌だったけど、これはおじいさんがよくラジオで聞いた番組だとなぜか記憶しており、不意に躍り出たの。これこそまさに憑き物ですね。
「志呉さん、それって何のまね、昔の旅回り役者のつもりかしら」
「はあ、おじいちゃんのですね、いえ、みなさんが幽霊の役割に忠実ってことを悟りまして、わたしも見習おうかと。そこで怖がらせるのが神髄なら、その反対はどうかと思案したんです」
「なるほど、役割が行動原理だと気づいたわけですね。なら反対とはどういう意味なのです」
「恐怖にも段階があると思います。突然の驚きや、じわじわしのび寄る不安感、得体の知れないおぞましさなど、わたしの恐怖はひとにあたえるのでなく自分の訴えそのものとなるのです」
「どういうことですか」
先生の語勢がかわった。同時に眉間がすこし険しくなる。
「助けて下さい、そうひたすら叫ぼうかと考えました。どうぞここから出してくださいとも。これが真の恐怖じゃないでしょうか」
「まったく、あなたというひとは、、、今日も早退しなさい。今の発言は非常に問題があります。謹慎処分だわ。わかっているの、10年学級に戻ってもらいますよ」
「わたし、そんな悪いこと言いましたか先生」
「とにかく教室から出なさい。追って連絡を待つこと、以上です」
一瞬、目のまえが真っ暗になったけど、思えばすすんで墓穴を掘ったようだしここはあきらめが肝心。
不意に犬の石像が脳裏に鎮座した。そしてメデューサの髪の毛が逆立つ幻影が現れたのです。