美の特攻隊

てのひら小説

深夜の深夜のざるそば

寒々なんてあたりまえよ、寒いときは寒い、暑いときは暑い、たとえばマイナス気温の夕暮れ、暖房のなかの暖房であったまった体なんて、よほどヒートテックじゃない限り、どうてことないわね。
むろん重篤な病人は別よ、でも、そうでないのなら、ざるそばが食べたい。
っていうのもね、わたし、今日、酔っ払っているのよ、久々に飲み会に行ったのね、飲み会といってもひとり酒、楽しかったって、そんな、野暮はやめて、ああ、そんなこと。
でも、やけにぬくかった、ええ、春先の気温ですって、そうですか、だと、冷たいざるそばはもっともね、と、いうわけで、いつもの深めのフライパンで湯を沸かす、沸かす。なかなか沸かない。
そうね、待つのも人生、だから、わたしは買い置きの、割引の、なぜって首をかしげながら手にした野菜の、値引き加減がいい加減な、季節はずれのきゅうりとトマトを千切りならびに細かく切るの。
さらにカイワレは常備だから、安心だわ、多い日も安心。もう少し凝視して凝視してなぜかわからないけど凝視してとらえた、冷蔵庫に眠る、あたりまえな、ちくわ・・・も参入。全部ぶっかけます。
薄切かぶつ切りするかで、しばし、まどう、まどってまどってまどう間にお湯は沸くのね。
自然だわ。薄く、ぶつ・・・ぶつぶつ、あっ、これは文句じゃありません。ただ、ただ、切っただけ。
う~ん、他にもないか、酔眼の強欲、ここに至り。でも、ないわ、ハムあったけど、これは明日のパンに乗っけようという鮮烈な打算が働きかけるので、中止、この中止って言葉に酔いなおす。
煮えたわよ、野菜も夜の深い深いところで喜んで切られていることを覚悟しているらしく、神妙で、その色彩は夏日のあの思い出を彷彿させるのだけど、思い出が思い出であることの自覚がやってこないから、すごく手軽。
めんつゆ、仕込みに仕込んだ、めんつゆ、けれども、他愛もない、それはいりこだしパックを先日から寝かせて寝かせて、ほんだしやら、粉節やら、塩こんぶでまみれにまみれさておいたもの。三日前の記憶の記憶。
そうじゃなければ、ざるそば、食べようなんて思わないでしょ。
はじめに出汁ありき、新約聖書をひもとくごとし。
水道水、冷たいわ!でもしめる、しめる、とことんしめる、季節はずれの野菜も冷え冷え。出汁も暗黒の井戸からくみ上げられたような塩梅で、あっけらかんと手早く調理は完了しました。
確実にお腹冷えるだろうな・・・でもお酒で火照った口内は夢のなかの夢ではなくて、のどぼとけに何かを訴え唱えるのでしょうね。だから本然なのです。
ほうじ茶を熱々にして待機させてあります。それほど、自虐ではありません。またしても深夜3時。