美の特攻隊

てのひら小説

タイムマシンにお願い〜5

操作は始まったのだろうか、腰掛けた身体には吸盤の圧力が稼動しているような感覚が生じている。

すぐに全身が硬直しだし、強烈な暴風にさらされているときの身動きに近い心細さをともなった威圧が胸中に広がった。

身体の痛覚よりも遥かに神経が波打っているのが実感できる。ピリピリと小刻みに震えるのではなく、妙な表現だがもっと大らかにそよいでいるような、あたかもススキの穂に光芒が発し、見極めつかないはずの外敵にとめどもない信頼を寄せるという転倒した物怖じが、それはこの世のものとは俄に認められないにもかかわらず放心を肯定しており、むしろ虚脱に思えてしまう感覚だった。

自分の心身が離脱していく瞬間をとらえるなら、まさに今がそのさなかではないか。

Nさんも認可した意味をかみしめる為に目は閉じず、四肢を貫いてゆく圧力も見定める気概でひかりの渦が発生するのを心待ちにしていた。

脱却するに当たって時間軸はどう抵抗するのだろう、神経の所在はまだ失せていない。いや反対に非常に澄みきった意識が幾重にも折り重なっているみたいで、俯瞰図を眺めている猶予がさずけられているではないか。

親和と疑心、跳躍と停滞、好奇と恐怖、曖昧な夢と偉大な不安、これらに相反することや時には歩み寄ったりする心象が、畳まれた襞を這ってゆくよう深く浅く、気圧に左右される自然現象と化して脳内に反射している。

そうだ、これがひかりなのか、、、泥酔者がその意識内でもまずまずの機知を働かしていると感じてしまうのと等しく、自分の思考は平行線に定規を当てているのかも知れない。

定規が時間、それなら平行線は何なんだろう、、、待てよ、渦が巻くのだ、定規みたいに時間は短くない、巻き尺が入り用だな、とすれば思考が怪しくなるまえに世界はねじで操られ途方もない円環に収斂してゆく。

その先を計れるなんて考えるほど傲慢ではない、もっともだ、時間を歪めるどころか逆行しているのだから、、、意識の俯瞰は案の定、こじんまりとしたあばら屋の見取り図でしかなかった。

 

気がつけば葉ずれの音が身近にあった。

歓迎のしるしにも聴こえる。特別に耳をそばだてることもあるまい。竹やぶには冬空がよく似合う。

空気はありていに冷たいだけでなく、また緑に囲まれているだけでなく、経年に耐えてきた飾り棚にしまわれた置物たちから見届けられているような、塵埃さえも静まり返って朽ちるすべを忘れた奇妙な冷ややかさを持っている。

町並みが覗けるところは目と鼻の先なのに、さっきまでの混濁した意識にもう少しだけ浸っていたい気がした。

同時に開き直りにもとれる馬力がみなぎってきて、ここが本当に40年前なら三日などとは言わずに心行くまで留まってみたい、野宿や金銭にとらわれたにせずに、、、そんな思いが波打ち際へ立ったときのごとくにゆっくり去来はじめ、瞬きにしみる時代の空気は郷愁を呼び寄せながら、早くも自分を透明にしていた。