美の特攻隊

てのひら小説

幽玄

夜へ

白雲がよく映えた夏の朝、列車を待つホームから遠い町へとのびるレールにふりそそぐ陽射しをゆったり見つめながら、何故かわきあがるべき旅情を制するような、物おじが先立つ足もとに気をとられてしまって、その影は反対車線のさきほどから鈍いを音を放って…

こもれび

以前懇意にしていた男に列車のなかでばったり出会った。その面立ちはこころ踊る音楽に浮かれていた頃のことだからよく憶えている。あれこれ互いの近況を交わしながら列車に揺られているうち、あの懐かしい旋律も幾度となく頭をよぎってゆくのだけれど、同時…

22世紀の夢遊病者

夕暮れどきの浴槽にはとけおちそうになる甘い果実があらかじめ浮かんでいるのか、あるいは沈める秘宝が夜明けを待ち望んでいるのか、薄く透けた湯気が窓外へ流れると、反対に生真面目で慈愛をはらんだような冷気が頬に降りてくる。その刹那、背中から首筋あ…

空の青み

夢の窓をあけようとする手もとにまとわりついたのは、見知らぬ家を訪ねていると云う鼻白む遠慮にあらがう想いだった。読めない音符に見果てぬ旋律が運ばれ、虹彩には澄みきった情景が待ち受けていたから。遠い青空を卑近なまでにたぐり寄せるまなざしが、私…

夏の日

【第7回】短編小説の集い 参加作品 生い茂った草が束になれば、緑のひかりを生み出し目にうるおいを、耳に涼風を届けてくれる。夏が終わり、喧噪がまぼろしであることを誇っていた様相に、どことなく慈しみを覚えてしまうのは、いかなる理由かなどと、のど…

蛇の歌

うすら笑いを張りつけたのではないだろう、見方によって苦笑にもとれる顔つきには、分別くささがのぞいていたし、また木漏れ日の加減のせいか、その影が光線を退けるよう戯れに誘われた無邪気さは、本来の性質をあらわにしているとうかがわれた。「お嬢さま…

夜風のささやき

その澄んだ碧眼の奥に映しだされた色彩は黄金が風にそよぐような麦穂だった。晴天ではなかったが、光彩をまとったしなやかな群生は空の青みを招いているのか、遠くに連なる山稜まで呼び声はこだました。頬をなでる髪に映発する、白金の柔らかなひかり、ベロ…

ポセイドンのめざめ

光線を避けるようひっそり佇むメデューサの石像に話しかけるのは、家僕のペイルでもシシリーでもなく、以外なことに小間使いのベロニアだった。どうしてそんな驚きを抱くかと云えば、犬のシシリーでさえ恋心を持ってしまうほどの美貌が隠されていたからで、…

面影

娘の瞳に焼きついた肖像は夜の帳が降りるにつれ、より濃厚な色彩を放ちはじめた。深紅の天鵞絨と見まがうような光沢で敷きつめられた階段の壁にその画は掛けられており、陽光のまったく触れないことも手伝って、燭台に灯る炎のゆらめきを過敏に受けとめてい…

夜明けのニーナ

空の色はまだ鉛を溶き流したように鈍く、星の瞬きが離ればなれの境遇を嘆いているのだと、大地の裂け目の奥底から誰かがそっと教えてくれたあの夜更け、ニーナはとても静かな馬車の音に揺られながら、城の門を通り抜けた。うしろを振り向いてみる意気が消え…

金魚

夕暮れ、気まぐれ、所在なし、ほろ酔いにまかせておいた狭い庭を見遣る目つきは空を切ったまま。耳朶に届いた鳥の鳴き声、さながら障子紙に浅く鋭く砕け散る。カラスの群れが山へ帰るのなら、そろそろ杯を置き、重い腰を上げよう。昨日までの長雨、庭の片隅…

続・ゆうれい

きっと暗雲を呼び寄せるに違いない、そんな不安気な心持ちをぬぐい取るように、曙光を思わせる明るみが地面まで落ちひろがったとき、初めて私はまちなみの彩りに染め上げられた。「すぐそこってどのあたりだい」「すぐはすぐよ。だまってついてらっしゃいな…

墨汁

遠慮勝ちな態度で筋書きに従ったつもりだった。そして途中、もうひとりの自分が語り聞かせる入れ子の情況もそれとなく察知することが出来た。女はまだ若く、自分より年下に見える。そう覚えるのが符牒となり、あるいは己の所感がまだ交えぬ肉体をはさんで、…

白墨

今にも通り雨が落ちてきそうな曇り空の下、山腹にまばらと立つ民家のなかでもひときわ目につく、一軒の黒塗りの門構えを前にして、封書のようなものをその屋敷に届けなければと、配達人の風体でありながらどこか逡巡している自分を意識していた。しばらくす…

夏まわり

絵の具を絞り出し塗りこめたみたいなひまわり畑の小径を進んでゆくと、木々の伸び具合が見分けられるほどの小高い山がせまって来た。 背景の青空は無性に旅情をかきたてるが、夏風にそよぐ大輪から浮き上がる緑は小山から彩度を分け与えてもらっているせいか…

月葬

寝静まった妻の微かな気息に耳を向けるまでもなく、昇は苦虫をつぶしたような微笑を浮かべている自分を思い、消え入りそうな予感に深く沈みこむのではなく、反対に暗幕でさえぎってしまった。 暗幕の内側に息づくものを映像が終了する案配で拭いとることは出…

梅月譚

我が胸奥に仕舞われたるまこともって不可思議千万な一夜の所行、追懐の情に流るるを疎めしはひとえに奇景のただなか、夢か現か、ようよう確かめたる術なく、返す返すも要職の重しに閉ざされたれば口外厳に禁じられたるところ、斯様な回顧もまた御法度なり。 …

勿忘草

空気抵抗を反対にもてあそびながら時間の流れをそこに悠然とあらわしている光景は、微小な羽毛たちが神妙としてひかりの祝福を甘受している、あのまどろみの裡に見出す判然としない不安感を憶い出させる。 あたかも永劫に浮遊し続けるちいさな歓びが、無限の…

Winter Echo 3

思いのほか気まぐれにやんわりとあるいは又、不意に背後からしのび寄った悪意の翳りの前兆はあの幼い日々のなか密やかに棲みついていたのだろう。 木漏れ日のような思いがけない到来は、すぐそこに手をかざせば親しみのある温もりをあたえながら、前後を把握…

Winter Echo 2

床から起き上がったと見まごう畳が一枚一枚、どんな案配に寄せ集められたのか、表に運ばれたのか、明瞭な光景を思い浮かべることは出来ない。 ただ印象深く、今でも小さな驚きを保ちながら脳裏に広がるのは、畳の下に敷かれていた色褪せた新聞紙が、それまで…

Winter Echo

語るべきして語られるわけもないはずなのに、普段とは違った動作のうちに重ね合わされるよう、ちょうどナレーションと云った趣きで音像が言葉の響きに歩みよろうとしている。 つい先程までこうして開け放たれることが久しかったガラス戸は、以外な結末を迎え…

花火~過ぎた夏

白ワインの冷たさは格別だった。 純一は三好からすすめられたビールをひとくち飲み干したあと、いつにない酔いが全身を巡ると云うよりも襲ってきて、体調を崩すか寝込んでしまいかねないと思い、それ以上は杯を重ねないまま、ぼちぼち打ち上がりはじまりだし…

幻惑されて

不断の満ち欠けを気に留めることもないまま、夜道に日は暮れないなどと、健気に、そして眠気を多少こらえているような心持ちで歩いている。 稜線は夜空に昔話しを語りたいのではなく、今日一日の想いがまた過ぎ去ることを自愛をこめて切々と訴えているように…

単線鉄道

鉄道の轍はどこまで行っても音響でしかないにもかかわらず、このように記憶の残像を呼び寄せてしまう加減は、、、祝福に包まれた光輝とも、災禍に圧しやられた苦渋とも異なる、がしかし、その双方を遠い彼方に想いかえしてしまう加減は、、、一体どこからこ…

燃える秋

俊輔は尾根から麓までまだらながらも色彩が植えこまれた山々の威容を想像していた。 遠目には種類は判別出来なくても木々が燃えさかるようにして色めきだち、しかも枯れゆくまえにして鮮やかな変容を遂げる情念を静かに夢想すれば、山全体を眺めやるまなざし…

さわ蟹

生家の裏庭に面した流しの下はちょうど水たまりに似て、心細げに類家の畑の溝へと通じており、春さきともなれば白や黄色い蝶蝶がふわふわ舞うさまは身近でありながら、陽光の届けられるまばゆさに名も覚えぬ草花が匂いたつようで、見遣る景色はなにやら遠く…

夜景

旅ではなかった。生まれ育ったまちだったから。ひと時だけ帰省しているようでもあり、もう長く住んでいるようでもあった。 散歩ではなかった。なにしろ、宵の口から指折り数えてみるとかなり夜が深まっている。 所用があったにせよ、今時分そぞろ歩ているの…

くらがり

季節は思い出せません。しかし黴の匂いは今でもしっかり鼻に残っています。 夏の盛り、押し入れに畳まれた布団のなかへもぐりこむのは快適な遊びでないはず、とすれば小雨に煙る春さきだったのか、湿気が立ち退いてゆくのをどこか心細がっていた秋の頃なのか…

日向

何気なしに壁に片手をつきもたれかかってみた。 固さも手触りも特に意識されない。 いまどき珍しいというより、ここが相当古い家屋である思いは、舗装される以前によく目にした雨上がりの水たまりに向けたまなざしと重なりあっている。 ふざけながら足を入れ…

月影の武者

月明かりの白砂、穏やかでひとけもない、孤高の波打ち際。喧噪が過ぎた気配は幽かに名残惜しく、ただ独りの鎧武者の陰を映し出している。たった一度だけの、したたり落ちる冷や汗は月光を受けて青ざめており、たぶんそれは私自身の心境であったと思われるの…