美の特攻隊

てのひら小説

タイムマシンにお願い~9

「おじちゃんだれ」

返事なきままに立ち去れば、自分の沈着さを時間が保証してくれるに違いない。

そして動揺した気分を覚ましてから明日にでも再び尋ねればすむことだ。あるいは日付がわかっているから、少年の行動範囲はおおかた把握できるし、そっと様子うかがいに終始すれば本来の目的にもかなう。

ところが、後ろ髪を引かれる心持ちは絶大な威力であまりになじみ深いこの位置に磁場を生み出してしまっている。金縛り状態を振りほどくのはもはや不可能と思われた。その瞬間、あきらめともなげやりともつかない感情が突風になって心身を吹き抜けてゆき、目頭が熱くなった。

「おばあちゃんの親戚だった」

抱えた鞄の大きさとNさんからの計画、そして綿密な支度が急に疎ましくなり、現実を押しのけ激情に溺れかけそうになっていた。見え見えの嘘になにもかも放りこんでしまっているではないか。

「おばあちゃんなら今いるよ」

祖母は20年まえに亡くなっている。親戚と名のったうえは磁場に協調したも同じことだけれど、少年に過去形は通じない。意思の疎通があるとすれば、自分の理性を保ち決して情動的な素振りを見せないことが前提であり、言葉ならぬ言葉で包みこむしかすべはないであろう。

記憶の交差、それが目的だったはずである。この三日間に少年を見失う確立は極めて低いと思われたので、自愛に支えられた感傷を払うのに難儀はしない。ただ、降りかかるかも知れないアクシデントを想像したとき、痛切な哀しみが押し寄せてきそうで、もう二度とないであろう旅情を大きくふくらませてしまうのだった。

自分が奇跡と立ち会っている驚異を差し引いても、また記憶の残滓がこうした幻影を装っているとしても、今置かれた境遇がめぐってくることは永久にあり得ないのだ。そして決意とも呼べる言葉を選んだ。

「また来るよ、古い親戚だからおばあちゃんは覚えてないだろうね、きっと」

「そうなの」

「ああ、きみは毎日元気かな」

「えっ」

「なんでもない、さよなら」

自分は何を言っているのだ。鏡に対しひとりごとを喋っているわけであるまい。金縛りは呪縛までに至らず、却って少年時代に適応の証明を授けられたとほくそ笑んだ。

北風が思い出したように帽子のふちをわずかに煽ると、引き裂かれた心中に不敵な親しみが忍びこんでくる。

港の宿に向う足どりは重くもなく、軽くもなかった。見知った景色、それらが相当異なっているのは当然であり、道路の幅にしろ、車両のまばらさにせよ、民家の連なりにしても、そしてすれ違う人々のすがたも、かつて目の当たりにした揺るぎない空間に占領されている。

自分のこころは躍ったのだろうか、いや残念なことに、まるで古い映画を観ているような情調と、遅れてやってきた幾ばくかの知覚が、錯綜としたまま放りだされており、とてもいにしえの明媚にひたることはできなかった。

自問するまでもない、旅のとば口で早々に過去そのものに出くわしたのだから、世紀のトリップに酔いしれ、おののくより、得体の知れない思念にとらわれてしまっていた。これまで過ごしてした時間が、生きてきた道のりが、一枚鏡の中に凝縮されている。

別に時代にならっているわけでなく、身動きさえ難しい重荷は、ひかりと影を数えきれないくらい重ね合わせており、郷愁をも剥奪して過剰な映像と化しているのだ。自分自身という存在を認めさせるために。

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