賛美歌
アンデルセン童話に「ゆきだるま」という一編があります。
こんなお話です。
あるうちのにわにゆきだるまがすわっていました。なんだかからだのなかがみしみしすると、ゆきだるまはいいます。おひさまがてっていたのですね。
ぎらぎらてりつけるおひさまに、にらむのはよしてくれ、からだがやわらかくなってしょうがない、そううったえたのです。
やがておひさまがにしにしずむと、まるいおつきさまがそらにのぼってきます。
さっきのおひさまがまたでてきたとおもったのでしょう。でもおつきさまのひかりはよわいのでほっとしました。
わんわん、そのときいっぴきのいぬがいきおいよくかけてきました。
ゆきだるまは、ぼくもあんなにかけたいな、うらやましくいうと、いぬはこたえます。
「あす、またおひさまがぎらぎらひかって、きみをおほりにすべりこませてくれるよ」
「いまそらにでてるじゃないか」
「ちがうよ、あれはおつきさまだよ、わんわん」
それからいぬはゆきだるまに、こうかたったのです。
「ぼくがちんころだったころは、いつもへやのなかにいたんだ。そしてほらまどのむこうにみえるだろう、あれはストーブといってふゆになくてはならないものなんだよ」
「ストーブっていいものかい」
「ああ、いまでもゆめにみるほどさ、そばにふかふかのふとんがおいてあって、ぼくはいつもそこにいたのさ」
「ちんころのときにだね」
あんのじょう、ゆきだるまはストーブをうらやましくおもい、いまにでもちかづきたいといいました。
いぬは「だめだよ、きみはすぐにとけてしまうよ。おほりにいくまでは」と、きびしいかおでいいました。
そのばん、ゆきだるまはそれがどんなものかにおもいめぐらせ、あさになってしまいました。
ひがしのそらから、きのうとおなじおひさまがでてきてかがやきます、ぎらぎらと。
「やれやれ、いぬくんのいったとおりだ」
ゆきだるまはまっしろなためいきをはきました。でもめはとてもかがやいています。
だんだんとあたたかいひかりにやせてしまい、ついにはとけておほりのほうにながされてゆきました。
「さようなら、さようなら、また、らいねんのふゆにやっておいで、わん、わん、わん」
いぬはきのどくそうになきました。
ゆきだるまのいたばしょにストーブのひかきぼうがころがっていました。からだのしんだったのですね、こっかくだったのです。
「それであんなにストーブのそばにいきたかったんだなあ」
じょちゅうさんがきてひかきぼうをへやにもっていきました。
「よかったね、ねがいがかなって」
静夫は教会系の幼稚園に一年間だけ通いました。
どんな深い霧の彼方よりもいえ、宵闇の向こうにさえ覚束ない光景はほとんど曖昧です。ちいさな建物でした。幼児ながらそう感じていたのですから、こじんまりしていて、そのぶん園児も少なかったのも覚えています。
数枚の写真を後年、見返すことがあり、懐かしさがこみあげてくるかと期待したのですが、幼少の意識はよくもわるくもぼんやりしているので、なにか別の場所を見ているような気がしてなりません。
けれども遠足の風景、これは即座に思い出せました。なにせ自分の家のまえを通ってその場所に向かいましたから。
べつに恥ずかしがることないのに無性に照れてしまい、なぜか家族らが顔を出さないことを懸命に祈ってました。そんな心許なさも些少ですけどよみがえります。
が、遊戯会でしょうか、しかもクリスマスでしょうか、ツリーやモールといったすっかり見慣れた飾りつけが背景に写っていますので、さぞかし楽しい雰囲気の一日だったかと記憶をたどるのですが、どうもしっくりきません。とはいってもよそよそしいわけではなくて、どことなくそこに自分がいたと確信が持てない、それくらい時間は過ぎ去り逆戻りを嫌っているのでしょうか。
静夫は考えました。「やっぱり薄れているだけさ」結論とは投げやりな思惑を過分にはらんでいることがあります。
ことさら重大な事件や、激烈な印象に裏付けされてない限り、過去から現在に至る(未来は別口ですね、この場合)現象は透けそうで見えにくい、あるいは気まぐれな邪魔者が鮮明な色合いをまるで枯れたふうに変質させているのです。
そのわけはよく理解できませんけど、おそらく老人が青年であってはなにかしら困るのでしょうし、死人が生きてその辺をうろついたりしたらとても敵いません。ましてや好きで好きで仕方ない今は離れてしまった恋人が急に現われ微笑まれたりすれば、平静でいられるはずがないでしょう。
が、多津子さん、きみのことはよく覚えています。写真なんか見なくても時折ゆめになり、情景になり、言葉になります。アーメン。
「吹き鳴らす角笛遠く、、、せめて来る悪魔を倒せ、神のちからを知るがいい、少年ダビデ、、、」
正確ではないでしょう、が多分こんな歌詞だったような気がします。
いつ歌っていたのかも忘れてしまいました。華やかだったとこころ弾ませていたクリスマス会なのか、普段のお遊戯の時間だったのか、それもあやふやです。
色褪せた白黒写真の静夫は三角の紙の帽子を被り、踊ろうとしています。
きっと楽しかったのでしょう、ふて腐れながらはしゃいだりする子供はあまりいませんでした。それほど腹芸を会得などしているはずがありません。
しかし、まったくといっていいほど光景と記憶は重なり合わないのです。
困ったりあたまを抱えてはいませんよ、ただ困ったと他愛もなくひとごとみたいに感じているだけです。
うれしい想い出は一枚の絵はがきにありました。小さな幼稚園です、豪華なプレゼントなんかもらえるはずがないと、子供にしては鋭敏な予感が働いておりました。
静夫のクラスは十人もいたかいないくらいの少人数、しかしはがきの種類はすべて異なっており、それはみんな見せっこしたからで、またこれは間違いなく現在からの遠望なのでしょうが、誰ひとり不平をもらす子がいなかった、そう思います。悪くはないでしょう、いえ、絵はがきの図柄です、ひとりひとり、別々な一枚。
大事にしまっておいたのですが、いつしかどこかにいってしまいました。静夫にしてみればかなりの失態です。いまも小学時代のえんぴつやけしごむなど引き出しにしまってあるくらいなのに。
土団子は嫌いでしたね、多津子さん。
反対に静夫は泥をまるめ細かい砂をまぶし、まるで宝石をもてあそぶように園の裏庭で熱心な遊びに興じていました。
これまた不思議なのですけど、そんなに没頭し執心した土団子を決して家に持ち帰ろうとしなかった、いいえ、先生に禁止されたわけでもありませんし、逆にかばんに入れるなりして家の土間でもいいから保管しておいたほうが安全なわけです。
誰に壊されるか、とられるか、しれたものでなかったのですから。
しかし、静夫は土団子をまるめて、いつも裏庭の片隅や草むらの影にそっとひそませておきました。