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美の特攻隊

てのひら小説

Winter Echo 3

思いのほか気まぐれにやんわりとあるいは又、不意に背後からしのび寄った悪意の翳りの前兆はあの幼い日々のなか密やかに棲みついていたのだろう。
木漏れ日のような思いがけない到来は、すぐそこに手をかざせば親しみのある温もりをあたえながら、前後を把握しきれない微かな驚きを内実に宿し、冷たい感触の火花が一瞬、胸のうちに散り去ってゆく。
美代にとって冬空から降りてくる陽光は、ごく身近な存在であると共にまなじりあげて見つめなくてならない畏怖に包まれた天高く遠いところからの来訪者であった。
鋭利な刃物を間近にしたときの感覚とは別の、さほどこの身に差し迫った痛感ではなく、おとぎ話の世界で遊泳しているみたいな靄がかった底なしの気楽さを持ち合わせていることで、どこか現実ばなれした距離が近くに結ばれ、冒険する気分はいつも幾分か不遜な心意気をその奥底にとどめ置くよう、怯懦は転じて美代の目許を緊縛する。

冷たい火花はそうして寒風の彼方に還元された。
天空から降りそそぐ夏の日とはあきらかに意想が異なるかがやきに、童心ながら無常にも似た落ち着きをもたらしたのも、冷気が野生の鳥や昆虫の類いを駆逐してしまったと、直感で知らしめられる次元から導き出される以前より、この原風景の薄皮一枚に張り付いている乾燥した空気によるものだった。
「これは諦観をなぞっている追憶が生み出す仄暗い感傷なのかも知れない」

美代のまぶたは、硝子窓を無言で透過してゆくひかりの粒子を想起させるほこりの舞いに合わせるかの如く、ゆっくりと、しかしおそらくひかりの素早さを目のなかへ含みいれる加減をけっして忘れたわけでもないと云った案配で優しく閉ざされた。
日差しを面に受けながらいつの間にやら、この季節の風物詩とあえて大仰に、それから誇張された透明度のむこうに吸い込まれていく調子にわずかな微笑がこぼれ落ちていたことも、もう遠く過ぎ去ってしまった年の瀬の一日を、軽やかに寝床から半身をもたげる仕草に似た様子で思い起こしたのも、この閉ざされた視界を覆う赤い翳りによるとすれば、それは気まぐれと呼ぶよりもなにかもっと根源的な磁場から発せられた予兆なのではないだろうか。

「光線の束はまぶたの裏側までいともたやすく侵蝕する、、、さあ、どうかしら。これは侵蝕などではなく、あたりまえの自然ないとなみでは、、、」
何気のない考えがぼんやりと浮かびあがるままに美代はすべてを委ねてでもいるようであったが、自然界に昼夜がめぐるのと同じ、その思惑の落ち着きさきも又過剰な意思が手元を誤ってはいつもこぼれてしまう必然を裏打ちするよう、まさに反転した箇所から、意識のうしろからすべりこむ勢いで、厚手の夜具にすっぽりと覆われるかの暗幕がひかりをかき消してしまった。
だが、闇夜とは月の裏側へと抜けゆくための近道であることを生理的に感じていた。

まぎれもない女性であることの証、それから太陽光線は夜空の彼方で星と星の広大な領域に飛び交う塵たちをまばゆく照らし出しているに違いないと云う確信、影面に立つ以上にはおおきな帳が必ず存在し、目には見えない生き物らが棲息しているはずだと。
大晦日の夜を思い浮かべこころが透けてなくなるほど静粛な気分に支配されたあの感触は、この世界の反対側にいつも超然と鎮座している。

日常の顔つきと何ら相違ないけれど、しかし潮の満ち干きが及ぼす絶対的な影響力を軽んじるわけでなく、むしろ様々な波及がひとの意識にまで綾を織りなす実情へと気配ることにより、日々の襞を見極めることが出来るよう、闇の国ではまず手先の熟練がその行く末を定める指針となろう。

先ほどまどろみのさなか、ゆらめいた追想にやはり要所を突くよう現れた兄久道のまだおさな気な姿に対し、ある種の微笑ましさを禁じ得なかったのだった。

のちに大人になってから決して幸福だったと云えない人生であった兄に、あたかも逆さ眼鏡をかけてときの過ぎようをかいま見ようとする行為は、あまり意義のある郷愁でもなく、また独自の感傷に接する余裕も呼びよせはしない。
「あのときの情況に少なからずかかわった兄の行為と心意は忘れはしないだろう」
うつらうつらしつつも重力から解放された意想の飛躍は美代のまぶたを再びおおきく広げさせ、焦点を外された硝子窓の付近に浮遊しているほこりの数も減少したのか、日差しを浴びながら病人特有の殊勝な面持ちはいつになく尊大でもあるのだが、気高さを消耗した体力のなせるわざだと察しようとはせず、ただ、兄とはまるで正反対の性格と気質に生まれ育った自分に、ときより訪れる号外とでも云う不自然な感性の供託は、どこからやって来たのか首をかしげるばかりであった。
眠気が満潮時に向かって誘われ意識の裾野から次第に浸されてはいたけれども、今は忘却のなかへとすべてをもぐりこますことに、少しばかり飽きていた。久道の棲み家は日常の形態からどれほど逸脱していたのと云うのか。

男女の性差こそあれ誰もがたどる思春期の道程、軌道はその都度ただされ今日に至るとすれば、あのころ恐る恐る踏み出し、あるいは泰然として邁進し続けた刹那を思い返せるものなら、、、美代は両のこめかみに痛みが走るのを覚えたが、気を取り直したふうに平穏な表情を作り出し、部屋のなかに散逸して舞っている微細なひかりの粒子の借りのすがたを再びゆっくり眺めるのだった。

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