美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架〜8

もし無感動なまま衝動がわき起こっているのだとしたら、私たちは本能と呼ばれる不可解でとりとめもない奔放な激流のまっただ中に巻き込まれていることになるであろう。しかし、本能が跳躍する際に対して無感動の目配せしか送らないというのは、どこか不自然であり偽装に覆われているように思われる。

 

清也の両の掌はいかにも事務的な処理を施すといった具合で、葉子の乳房をまさぐり始めようとしていた。確実にあふれ出す豊満で張りをもつ隆起へと向かい、懸命にちょうど身の危険と背中合わせに頂きをひたすら目指す岩登りにも似た愛撫は、ちから尽きるまでの勇壮な好奇に導かれる様を構図にように映った。

裸体に対峙する情欲は、まだあらわにされていない下半身の秘密を固持しているものの、下着一枚の葉子の股間にしっかり顔面を押し当てるようにして、来るべき登頂の喜びに駆け上がろうと努めている。

大きく万歳する格好にも似たうつ伏せの姿態を、彼自身が瞬時に脳裏に思い描いてみせたのは、欲動に突き上げられた最中にもかかわらず随分と余裕をもたらすものであった。

とすれば、性的興奮の奔流のどこかに迸る水しぶきを受けない静かな淀みが存在するだろうか、そしてその激流の、あるいは劫火の噴出の中心に空気穴が開いているような奇妙な形相は一体なにを意味するのか。

葉子の乳首を指先でつまみながら手のひら全体を椀にふたするよう重ねてみた。

両手に限らず全身には十全たる野生の感覚から少し後ずさりする、どことなく遠慮気味で何かしら褪めた色情が、また規制された鼻息で窺える衰退は、浅瀬をたゆたう魚影のごとく窺えた。

これから大胆な交わりに結びつこうとも、惑溺するのは地熱を持つこの身が本然なのであり、心模様の色合いは浸水を免れようとしている。

いつからこんな冷却装置を見いだしたのだろう、実のところ清也自身よくわからなかった。

肉欲だけに集約し顧みても初体験の折の予断なき疾風にさらされ、快楽を満喫する余裕などなかった思春期は別として、それ以降の経験において思い返してみても、今と似たような差し水を、つまりは頭の中を心の中を二分割してしまう沈着な思念のかけらが、忽然とわき上がってくるのだ。

先日の明け方、酒場を出て駐車場から葉子の車が搬送されてくる時に、よぎっていった断片のような感覚、満足気な横溢する笑みがいつの間にやら薄ら笑いへと滑り落ちてゆく、さらに言えば興趣が失せてしまう熱情の陥穽。

あの高層ビルがこの世のものではないくらいに幻想的なビジョンで映し出され、そこに埋没し耽溺していたのは、今ここにあって葉子の肉体を暴いてみせる願望とは別のものであり、身体的ではない。かといって夢想と神秘の扉を開けてみるような陶酔を望んだわけでもなかった。

端的に性欲とそれ以外の何かが足し引きされ、いわば気分みたいなもので優位が与えられているのだと、割り切ってしまえばそれまでだろうが、そんな容易い線引きの心象で区分されないことは直感的に知っている。

なにより断章となって明滅する光景をもっとも恐れていたのだ。

何故なら、そこにはひりつく太陽の照りとそして交代にくぐもる月光のあかりが、地平線さえ茫洋たる砂漠を支配しているだけで、わずか一本の樹木も存在しなかったからである。

だからこそ清也が懸命に半ば無意識的に模索したのは、空漠な土地を豊穣に充たしてゆくという方向も定まらない、がむしゃらに無謀な賭けを試みることであった。

その結果底なしの柄杓とわかっていながら水まきする慄然とした佇まいと、手にした道具を疑ることなくひたすらに撒水の反復を了解すれば、内奥にわだかまる空虚を慰撫しながら、わしづかみする無益な抱擁となり果てよう。

 

山頂への道標はここにあった。

声なき声が悲嘆にくれる涙の向うで感傷にひたりゆく己を己が叱咤激励している。

圧迫的な哀しみの嵐のなか、今度は攻めゆく番だと、身体の向きを翻すようにして、この世から魔法みたいにして一瞬消え去ることを祈り、それが無感動な衝動であることに悦びを見いだす。何という矛盾した、転倒した思惑だろうか。

だが人類が発明したこの恐るべき観念劇の舞台へと登板していったのは賢明なる判断であった。

 

それではこれから劇場で繰り広げられる、もっとも健全で、もっとも神聖であり、もっとも情動を呼び覚ます、哀しみの歌劇を鑑賞していただこう。

清也も葉子も、きっと観客の視線をどこかで意識しているに違いないから、、、ふたりは自身のすがたをよく知っている、互いの裸体が発散する臭気とぬくもりと冷たさを通して。