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美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 25

予期せず眼前に陽炎のごとく現れた、冷たい至情を持つひとがた。
鮮明な木立の陰影に隠された、歴然たる情感の波立ちのさきには、すでに序章が始まっていたのを意識しえない。
だが山の神が微笑みかけるのなら、おそらく自分に優しく投げかけたであろうと想われる哀切に彩られた宣告。
夢幻のうちに受託する意識の遠のきに似た甘美な旋律が、そのとき初恵の胸許まで届いたのも、醒めやらぬ焔の予兆であったとすれば、今まだこうして巣くっている錯綜とした愛憎を見つめるだけでは、ときの小舟に流される儚さしかその中心には残らない。

忌諱されるべき様相なのに、あの山道で憶えた交錯した感情が、自分の意思とは別な方向に彷徨いだしたのは、鬱蒼とした草に被われる底知れない井戸を覗きこんだときのように、仄暗い未知なる領域を知ってみたいと願う一心に結ばれたのなら、それは極めて危険な行為であり、また非現実的な逸脱であることによって、最終的にはこの世に完全な花園を創り出すことになるだろう。
なぜならば、究極の探査なしに桃源郷を見いだせないことと一緒で、たとえ偶然にせよ、そう云った悲願を胸に抱き続けない限り、向こう側の扉は決して開かれはしないからである。
血と汗の結晶が燦然と輝くことは、太陽の光輝や夜空の迷宮と同じく、果てしない可能性のまったただ中に位置する意識を逃しはせず、ひたすら突き抜けるだけの加速で疾走してゆくからだ。

小さな冒険には小さな発見が、得体の知れない衝動には不確かな結末が、底知れないほどに深い欲望には、目がつぶれてしまうくらいの狂喜が到来する。
初恵は純一のすがたを通じて、あの世を覗きこもうとしたのだ。
それが健全な精神から発動された情熱であるかどうかは問われまい、わが身に寄り添う実体なき影法師を思考のよりどころとしてしまった精神が、不健全であるかどうかただせないように。

高校を出るあたりから胸に巣くった暗部が、逆に生命の躍動を知らしめた反エネルギーであることを、初恵は死に至る必然を介して理解したのであった。
夭折した音楽家や作家に傾倒していったのは、別段風変わりでもないはず、彼らは短い生涯に美しさを託すよう、信じられないくらいの放電と炎上でもってすべてを撹乱させたからで、それは強烈なめまいを要求する転倒した自然体を再確認する営為が完遂されたことであり、凍結された時間が永遠の額縁に収められた証しであった。
瞬間的にわが身を通過してゆくもの、それがこの現在の連鎖のひとこまひとこまであると同時に、後方へと彗星の如く流れ去るうつろい、その都度の死であるとするならば、いまここに在ると云うことは、生死の均衡のうえで成り立っている奇跡であると過信してしまう、限りない祈祷を生みだす母体となり、実際には死は時間軸に於いてこの身に訪れてないにも関わらず、先取の構えであの世とやらを構築する契機となる。

些事にこだわる日常のなか、そんな不安に包まれた端緒を封じてしまおうと、様々な教えが連綿として語りつがれている人智を、初恵は知っていた。
それらが反自然的な思弁に塗りこめられている華飾の言説をも、ちょうど濃厚な彩色の筆で描かれた油絵のように理解していた。
しかし、地獄絵巻のような艱難で船出しなければ意味がなく、つまりは安寧や静謐な情趣は保たれたとしても、はなからそんな境地が待ち受けているはずではない、まさに血と汗の彼方に、血みどろに染まった苦渋の果てとして、汗まみれの汚穢の果てとして、到達する至上の結実のなかにすべては映しだされなくてはならない。

暴走行為を繰り返す少年のこころをかすめる死の不安が、いつしか行為そのものだけを避けはじめ、だが身の保全に向かおうとした心性を正面から認めない不遜さ、、、無頼に振る舞うちからの背後には、むろん賭けそのものである精神が張りついているだろう。
ところが、その支えとなる張りついた護符は極めて乾きのはやい糊で、しかも剥がれる際もこれまた容易である。
一度、剥がれ落ちた護符はものの見事にその霊験を失ってしまい、賭けそのものは目先を改め、少なくとも一晩は熟思したのち、日々の些事に立ち返ってゆく。
手軽く意味を成さないかわり、そう簡単には失効しない緩やかな賭けを演じるおとなに成り果て。
ひとは誰しも若いころ、こうした経験を覚えるものだ。
初恵が純一のなかに嗅ぎとったのは、ある意味強靭な理性をまとった不合理な賭博精神であり、その純粋さゆえに自らをもねじ曲げてしまわなければならない、不幸な奢侈であった。