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美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 26

両手を後頭部で支えてみるようにして、伸びた背筋のうしろすがたに気をとめてみたものの、裸のままそんなポーズをとるよう言った純一の思惑がよく解せないうち、背後から見つめられていると云う、気恥ずかしさが鳥肌のように全身を被ってしまい、
「意識を背中に集中して」
と、いつになく強い哀願調の響きに共鳴することも忘れかけ、恥じらいが内部へと浸透してしまうまえに初恵のこころを支配し始めたのは、自分の影が純一を反対に見つめ返している怖れであった。

スケッチだと言って、ボールペンを持ち初恵の裸体を写しかけたのだが、昨日の秋晴れから空模様は一変し、朝から雨脚は弱まることなく、薄暗らさに生気を奪われそうな陰湿さで、部屋には灯りが天井より放たれているものの、閉切ったカーテンには倍以上の大きさで、その襞へ忠実に染みこむようにして形成された影、、、陰影を濃く出すためにと卓上用の蛍光灯を斜めからあてることで発生した、乳房の三角が真横に刻されると、その上部には同じ角度の肘が対角線上に大きく間隔を持った墨絵みたいのように、描かれてしまっている。
横目で自分の伸び上がった影を追いながら、いつしか意識はあきらかに情感から屹立していた。
まるで影絵に問いかけるように、そして現実の純一と云うよりも、あくまでこの場に存在しない彼を想像してみるのだった。

今日もまた仕事の合間に、、、純一はこの時期は暇なので一向に気にしなくてもよいと言うのだが、初恵からしてみれば、たしかに共働きの両親は日中不在だし、親戚が経営している飲食店には夕方から手伝いに行くのだから、こうした昼間の結びつきが約束されているのだけれど、ほとんど日をあけずの交わりには、激しい息づかいとともにもたらしただけではない、にじみ出す汗がシーツに吸い込まれていくようになった。
澄みきった季節ながら、今日みたいな雨空では部屋のなかに湿気が忍びこみ、いつになく果敢に挑むようにして肉体をかきわけ、むさぼる純一の激情と、たかまる快感を制御しようにも最後には鼓動を共有する勢いで果ててしまう初恵とがしぼりだす汗は、乾きを知らない。
純一の求めるがままに裸身をさらし、奇妙な静止図を室内に映し出した初恵の意識は、分離して別の意思を築き出していた。
しかしよく考えてみると、そこに登場したのは又もやあの影法師であったと知るやいなや、思いもよらない言葉をうしろから浴びた。
「昨日の写真だけどさ、実はうちの親に送ってみたんだ」
「えっ」
「いやあ、たまたま、親父からメールが来てね、ほんと珍しいんだ、こっちに来てから二回目だよ。母さんはときおり電話くれるんだけどね。それで元気かって書いてよこしてあったんで、彼女ができるくらい元気だよって、これがなによりの証明と送ったわけ」
「それで、どうなったの」
うわずる声を勘づかれまいとした配慮も、吹き飛ばされる勢いで、
「親父なんて言って来たと思う」
間をあけるのが罪とも感じられながら、突風にあおられる様をようやく知り得たことで、今度はその間に罪ではなく、罰をあたえるような気概を持ちこう言ってみた。
「彼女なんて、そんな無理すんなよ、ってじゃないの」
震えだしたのは声色ではない、あきらかにからだの方であった。
純一にはそんな変化を識別する根拠も眼力もなかった。彼にいま備わっているのは、見失ったはずの自然、演出家たること必要としない、手放しの充足であった。
「ちがうよ、精々がんばれ、だってさ」
初恵は一瞬、あたりが茫洋となったような気がしたのだったが、たどりつくべき大陸をいち早く察知しているとでも云わんばかりの安堵で、またそれは吹きこぼれる煮物に注意をはらったあとに似た、つまりはより入念な神経で、
「あら、そう、じゃあいつか上京するとき、わたしも連れていってくれる」
そう、言い切ったのだ。
しかし、小刻みに揺れだしそうになる肉体は、明解な釈明をすぐさま用意できない。
いくら予測された悲劇の最高潮だとしても、それを目前として、このまま平静を装うにはあまりに荷が重すぎる。
吹きこぼれだすと云うより、爆発してしまうくらいの情況なのだから、火元は取りあえず弱めるのではなく、消しさるべきだった。
「悲劇の主人公はわたしでなくてはならない。あなたは脇役よ。あなたのお父さんもそう」
初恵のからだは武者震いしつつ、いつまでも火照っていた。