美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜3

思いもよらなかった昼飯のもてなし、しかも初めて訪ねた家で本人が腕をふるってくれた焼き飯の味。
深沢の言うよう段取りがなされていたのか、室内を見渡している間がかりそめの裡へ過ぎてしまったことに即すほど、手際よく並べられた新鮮な驚きは、布張りのソファに浅くも深くもなく腰をおろした居ずまいから覚える体温の高まりに準じ、冷房がゆき届いたまわりの空気へとけ込んだ。

予想していた通りの品が運ばれる光景に見とれながらも、孝之は恐縮で身がこわばってしまうありきたりの気分に支配されることはなかった。
それと云うのも、今ここにこうして座っている事態を的確に捉えることが不可能だと思われるからであって、理由は言うまでもなく、彼の胸中に奥深くわだかまっていた兆しが、次第に形をあらわになろうとしている為だけれど、見通しの良い眺望を期待する条件は盤石と備わっておらず、むしろ淡い悲観に寄りそう影の希薄さが、郷愁をたなびかせた旋律を選びとり、儚げに流れだそうとしている。
大胆に見える所作は以外や、ふとした発露から繰り出されてゆくのだ。

花火大会の夜、いつになく酒杯を傾けた記憶をまるでよそ事のごとく打ち消してしまったこと。

翌朝、以前息子の純一にあてがわれていたと云う部屋に入って窓の外を眺めながら、
「片目を失明させてしまったのは、わしのいたらなさに尽きるんだよ、孝之さん、本当にすまなかった」
もう何度となく三好から、そう謝罪されたのだろう。
ひと一倍義理堅いところのある主人にしてみれば、遠縁にあたる若者を預かったすえ、取り返しのつかない結果に結びついてしまった悔恨を、どう整理してみればよいのか、いやむしろ、それは相手に対しての責任と云うよりおのれに直結する不甲斐なさで閉じられているようだ。
三好の性分を知っている孝之にはよく理解されるのだったが、過分な懺悔にも映ってしまうそんな哀惜はなるだけ早く忘れてしまいたかった。
自分や三好が嘆いてみても悔やもうと、つまるところは同じ根から発生している。
失われた息子の右目は決して取り戻せないし、不慮の事故だったけれど、実際には純一自身が引き起こした不始末なのだ。

「あれで本人は以外と落ち込んでないんですよ。こんなふうに言うと不謹慎でしょうが、純一にとってみれば負の勲章みたいに感じているところがあるようなのです。
隻眼ってかっこいいとか言い出し、映画なんかでよくある黒い皮の眼帯を特注で作ったほどで、だからもう気になさらずに、このまちへ来ると熱望したのも本人だし、失恋に至ったのも仕方のないことです。やけかどうかはわかりませんけど山道からの転落も不運としか言えません」

孝之はそれからを弁明する意義を見失っていた。
埋め合わせとして少なくとも自尊心は放棄したつもりであった。
そして鬼畜にも等しい投げやりな意想を息子のこころに張りつけてしまうと、あたかも示談が成立したふうに決して後味はよくないにしろ、それなりの解決へ収まった感慨を抱いている他者のような自分を知った。

浮遊する視線が捉えようとしたのは、三好に頼んでこの部屋を見せてもらい、自然なふるまいとして窓の向こうに解放された港の風景などではなく、以前目についた一枚のペナントを確認する為に他ならなかった。
そこにどんな意味あいが封じられているのかは、やはり夢の謎解きに近い曖昧さで包みこまれている。
「これって純一がこっちで手に入れたものなんですか」
すこし力み過ぎて素っ気なさを強調してしまいかけた孝之の問いに対し、三好は別段いぶかる面持ちをあらわにせず、
「このペナントはたしか、朱美が嫁ぐまえにフカサワ硝子の婿養子なったひとからもらったんじゃなかったかな、こんなものがどうかしたのかね」
「いえ、たいしたことじゃないのですが、なんとなく懐かしいような気がしまして」
それから先、孝之は極々世間話しに流れる調子を保ちながら、フカサワ硝子は川向こうにある老舗だったと、記憶が何気なくめぐってきたふうな口ぶりを弄し、それで又どうして硝子店がペナントを持って来たわけかと尋ねれば、三好は気軽さにそそのかされる案配で相好をくずし、こう語りだした。

先代はもう亡くなって久しくなるけど、婿養子がどうしたわけか硝子職人を継がずに、一切を先代の娘まかせてしまって、今では硝子店とは名ばかりの細工専門の小さな工房を営んでいる。
東京で保険会社に努めていたそうだが退職後に帰省し縁あって、つまり親戚筋にあたるところから婚姻がまとまったらしい。
奥さんは硝子工芸だけれど、彼は刺繍が得意だったこともあり、ああして時代遅れの織物を作っていると。
なんでも最近は海外から発注が多くあれでなかなか実入りのある様子で、たぶん最初の作を朱美にいわばプレゼントしたとのことであった。
「あはは、久道とかいう名前だったよ、うちの朱美に気があったのかな」

そうして、なんだったら娘にいきさつを聞いてみるかと冗談ぽく話す三好を適当にあしらったのは、ある信憑が孝之の脳裏に渦巻きはじめ、余裕を保持することが困難になりかけたからであった。