美の特攻隊

てのひら小説

化粧3

「わたし、あの日ね、写真撮ったのよ、美代ちゃんのすがたも遠目だったけど何枚か写したの。でも欲張って枚数の多いフィルム買ったんでまだ残っているんだ。現像したらあげるからね」
それから足しげく望美の家の遊びに通いだしたのは、ものおじしている気分を別段やわらげると云った配慮が働いてはいたわけではなかったけれど、陽子がもつ本来のあかるさが一気に子供心を掌握されてしまったふうでもあり、それはまた美代の側からしてもひとしお願っていたことだったから、ふたりが同級生の望美を間にはさんで親しくしている定めから次第にもっと開放的に、これは相当飛躍した想像でもあるのだが、このうちの子になりたい、そして陽子さんとずっと一緒にいられれば、、、そんなどこの子供も一度は胸に宿した浅慮はときとして切実な透明性をおび、希望がかなわずとも一本の矢がちから強くひかれてしまって、まっすぐ虚空を突き進んでゆく思いは、どこかで曲がりなりも成就に巡り合えることを希求しているのだろう。
さきほどから写真の件で驚きとうれしさでいっぱいになっていた美代のこころの隅から顔をのぞかせた非現実ではない念いは、早くも言下に実りを得ることが予感された。
「わたしから切り出せば、わたしのほうから頼んでみたら、、、きっと」
反して写真のことを告げられ、落胆しているのか恥じらっているのか、美代のとまどいを細かく断じる性分ではなかろう陽子は、ふと思いついたとでもいうような口ぶりで、
「そうだ、せっかくだからここで美代ちゃん撮ってあげる。ふふ、お化粧もしてあげようか。わたし安物だけど化粧品もってるんだ。まえにお母さんの黙って使ってたらついに見つかってしまって、えらく怒られたけど、やっぱり興味ある年頃だもんね。あのさあ、おとこの子だって学校に香水つけてくるんだよ」
むろん美代は一気に舞い上がってしまったのだが、友達の姉とは云え、いざ自分の素肌に直接触れられることにためらいがないとは言えない。

その気持ちの底にはやはり憧れが放つ光源と一緒に生み出されよう、陰りに対する弱気で臆病な神経があり、もうひとつはにきびが多少吹き出ているにしても、カールされた睫毛や薄くぬられた口紅、手入れのあとが初々しい芳香を放つ首筋までで整えられた髪に圧倒されてしまい、昨日の夕方風呂に入っただけの、朝方洗顔しただけの身がとてつもなく汚れているようにさえ思えてきて、これはもの怖じと云ってしまえばそれまでであったが、化粧を施されること自体には抵抗はないものの、思春期にさなかにある陽子から伝わってくる清潔感は、それがマスカラや口紅、女性専用のシャンプーによるものだとしても、美代には気恥ずかしさからくる圧迫で卑下へと落ちてしまい、そうなるとよそよそしさを体現するのが関の山で、さきほどまで望んだことが苦痛を招く結果になりかけている現状に立ちすくむしかなかった。
「あら、遠慮しなくていいのよ、わたしも実は念入りに化粧した顔を撮ってみたいのよ。美代ちゃんも代わりにわたしを写して。だいじょうぶこのカメラはこうやってボタンを押すだけだから」
以外な陽子のことばは一陣の風となって美代のわだかまりをどこかに吹き流してしまった。
「まえに望美にも頼んだんだけど、妹しつこくてね、何枚も何枚も撮ろうとするし、しまいには弟をつかまえてきて、この子も一緒に化粧してあげようとか言ってくるし、それでお母さんにばれてしまったのよ。ちょうど都合いいわ、あの子はまだ塾から帰ってこないから」
「わたし、そんなカメラ触ったこともないんだけど」
そう、小声でつぶやくとさすがに陽子は愚図っているのを察したらしく、
「ただ押すだけの状態にしとくから、ほらここからのぞくと見えるでしょ」
彼女の持ち物にしては随分と大柄で使い古された写真機だけれども、いまはこれが誰のものか推測する猶予もなく、おそるおそる言われるがままにファインダーに片目を近づける。
気がつくと陽子の学習机には楕円形の置き鏡がそえられ、なにやら細々した道具をおさめたビニール製のバックがさしだされた。
「美代ちゃんからしてあげる。これお化粧落としだけど、まあ、油分もまだ浮いてない素肌だし別に使わなくてもいいんだけど一応ね」
祭礼のとき同じく下地から丁寧にコットンで顔中をたたくようにしてから白塗りにされた経験のある美代は、すでに陽子の意のままだった。

あたかも実の姉妹がかいま見せるやりとりは、いま実際に執り行われようとしている場面に張り付いてしまい、美代はひな鳥のごとく身をこわばらせていた。

以前に刷毛みたいなもので塗りこまれた白地と違って、チューブから微量しぼりだされた乳白色の半液体が美代の顔面にところどころ塗りつけられ、それからかたちのよいすらりとした指先が丹念に全体へとまんべんに動きだし、さあ少しのあいだ両目をふさいで、その声を耳にした刹那、美代のなかに激震が走り抜けた。
「この指先だわ、いつか見た夢の、、、」
こうなることを知っていたのね、きっと、その想いは陽子にも誰にも伝えることが憚れた。

何故なら、メロドラマの定石はかならず恋心を隠し続ける美学に結びついているのであり、しかも美学の意味など知る由もない美代がその心情を装ったのだとしたら、それはそれでひとつの憧れが、情愛を育もうとしている盲信だと云えるからではないだろうか。