美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架 〜1

恋するわたしは狂っている。そう言えるわたしは狂っていない。わたしは自分のイメージを二分しているのだ。

 ―ロラン・バルト

 

この若き青年が不夜城をあくまで人工的な密林だと捉えていたのか、ただ単に夜の帳に同調する資本主義のデコレーションと割り切って足を踏み入れて行ったのかは定かでない。

どちらにせよ、きっかけに根源的な意味を求める必要などないからだ。後に彼が話している通り大切なのはプロセスであり、まさに現在そこへ緊縛されつつ咆哮をあげながら振りほどかんとする、野性味にひたる馬鹿馬鹿しいほどの狂騒にこそすべてが求められるべきなのだ。

ところで密林だろうが草原だろうが、地に足を這わして進まない限り欲望の鼓動に忠実に即すことは不可能と思われる。

知的判断がもたらす日常への適度な粘り気は、とりあえず希望という名の指針を彼に与え、精一杯の努力を要求した。まるで日々の就労によって心身から流れ落ちる汗と同化することで、なめらかな循環を可能とさせるかように。

しかし小滝清也は、そんな独楽がまわり続けるふうな、あるいは歯車が回転しどこかへ連動していく単純性に大いに疑問を抱いたのであった。朝・昼・晩と規則ただしく時が過ぎていくのは、自然の摂理なのだろうが、そこに自身の躍動を正確に即すことは我慢がならなかった、いや、我慢は出来るがその連続性を嫌悪したと云った方がより明快だろう。

 

ある春先の夜、清也は自分がどうやら恋に落ちたのではないかと、かつてない身震いに襲われ、鳥肌立つ異質の皮膚感覚に信頼を寄せる自分に陶酔した。

小さな湿疹のようなものが身体に溢れ出すことが、これほどまでに鮮烈な感触をもたらすとは夢にも思わなかったのである。そして夢にもありえなかったゆえに恋をしているんだと、余計なものを引き出しに仕舞い込むようにして、残りの生きた感覚を観念に置き換えてみた。

すると漸く精神が溌剌といきり立ってきて、恋と呼んでいたあの感情を愛に変換してゆくことで、欲望が大きく鎌首をもたげだした。

後は自然の成り行きにまかせれば、悩む必要はこの時点にはない。清也はいつしか仕事に対する意欲が情念に裏打ちされているのだと云う、あの古典的な理論を都合よく再確認するよう、更に余分な意識を押し入れの中に放りこんでしまった。

そして代わりに布団を引っぱりだすと、始めて清也のアパートを訪れた恋人をその上にまるで押し倒す勢いでもって、衝動に忠実であれとばかりにがむしゃらな優しさを表現して見せたのである。

「この夜が来るのを待っていたんだ、葉子さん、そんなに嫌がらないで下さい。そっと触れているじゃないですか」

それでも彼女の面に現われる不審と警戒の眉間に皺寄せられた記号を見てとった清也は、葉子がここまで、つまりは深更に自分の部屋まで連れ添った以上、今ある抵抗はきっと羞恥が支えるためらいであると判断して、一度身体を離し立ち上がり部屋の電灯を消してから、

「さあ、これで本心を取り戻せる、安心して欲しい」

と、泣く子を諭すような甘い口調を用いながら、躾けで正す威厳を匂わす語気で懇願してみた。

するとまるで消灯が魔法の術であったのか、なんと葉子は黙って自ら衣服を脱ぎ出したのだ。

照明を落したといってもカーテン越しに都会の夜景は艶やかな明かりを提供してくれる。はっきりとは目にすることは無理だが、その衣ずれのような殊勝な気配は、まるで葉子の気持をあらわにしているようで、清也の胸は激しく高鳴った。

夜が流れゆく、、、たおやかにせつなく、、、先程までの野蛮な情欲が引き潮の如く、さっと引いていくのが分かった。

それでも下着姿になった神々しくも聖女を思わせる肉体へと手は伸びて、一通りの交情の末に果てた刹那、吐息がおさまらない葉子の姿態から受け取るものとは別の、奇妙な罪悪感と虚しさが入り交じった感情に支配された。

誰かに謝罪したくなるようなむず痒い、どこか情けない不謹慎な絡まりとしての焦燥によって。

よぎるイメージはさかなの刺身である。

料理人によって鮮やかにさばかれ、華やかに盛りつけたれた背後には、あたまを落とされ、皮をそがれ、はらわたがかきだされた、うすら寒い笑いとともに海底に沈みゆく骨が透けて見えるのだった。

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