美の特攻隊

てのひら小説

ウミガメと僕

潮風が心地よかった。身をかすめゆく感触に午後の日差しがしみ入ったからでなく、右隣でギターを爪弾いく青年の柔毛が頬を撫でているのが、遠い異国から届けられた景色のように儚げで美しいからだった。

とりまいた子供らも口々に「きれい、きれい」とほめそやしている。

僕はうっとりとした時間を享受していたかったのだが、あいにく微妙な緊張が手放しの陶酔を軽減させて、いくら夢みたいな場面とはいっても気安く観客に甘んじていられなかった。

左隣よりベースギターを手渡され、にわか仕込みの練習に焦りと同質のものを覚えていたから。

彼らは僕が若い頃、憧れていたロックバンドだったし、絶対あり得ない状況にもかかわらず拒む理由もないわけで、それはそうだろう、こんなこと一生に一回でもある方がおかしい、きっかけを思い出す暇があればこの刹那に興じていたいのは当然といえる。

どんないわれがあるにせよ、とにかく僕はベーシストの代役を果たさなければいけない立場に置かれ、今まで手にしたことのない楽器を懸命にこなそうと努めている。が、どだい無理なのは分かりきっており、冷めた口調でこう言い含められていた。

「ベース音は後ろから流れるようにしてあるから、手つきだけもっともらしくしてればいい」

それが出来たらなんの問題ないはずだと、こころのなかでは反発してみたが、いら立ちは非現実的な光景に和らげられ、神経を突き刺す痛みもやはり潮風によってどこかに運ばれてしまっている。

ギタリストの美貌を盗み見しながらの無謀な特訓なんて極端で面白いではないか。と、まあ開き直ってみたいところだったけども、陶然とした心持ちへ傾斜するのもそれなりの意思が要求される。

この場に及んでいるからこそ、そして間違いなく奇跡と呼んでかまわないからこそ、僕は以外にあわてたりせず指先の動きは左手に委ね、右目で風のリズムが吹き流している栗色の柔毛の揺れをうかがっていた。

音楽ファンである前に僕は、この美青年が漂わせる清潔な風貌、近づくことにためらいを感じてしまうくらいの、それはつまり僕の劣等意識が拡大されているような視野をもたらすからで、卑屈な感性を露呈させながらでも、憧憬を先送りしたい欲求に裏打ちされていたのだ。

実際メンバーのなかでもリーダー格の彼は圧倒的な人気を誇っており、こうして居並ぶ出来事に当惑しながらあくまで夢見の世界に内包されていた。だから、子供たちの賛美に対し青年はこう応えるのだった。

「母からよく言われた。獅子のたてがみが光り輝くようおまえは美しくなければならない」

 

彫像かと錯覚してしまう陰影ある横顔に忘れかけていた生気が宿る眺めは、磁力であると同時に僕の胸を寂しくつき放し、現実の距離へと回帰させた。一夏の恋心が燃え尽きる運命であるかのごとく。

しかし僕は青年を崇拝していたので、その言葉のうちに尊大さを嗅ぎ取ることなどなく、従容として目を細めた。すると今度はベースの指運びに慄然とせざるを得なくなった。あまりの拙さも然ることながら、数時間後には身代わりとして人前に出なくてはならない、いくらギタリストのカリスマ性に隠れていようとも、バンド全体として音楽は進行するわけで、結果的には大勢の聴衆の期待を裏切るのは目に見えているではないか。

何度も念を押すけど、こんな成りゆきを望んだのは僕ではないし、また深い事情があるにせよ、もっと適切な代わりがいるはずだろう、急激に渦を巻いた推理は荒唐無稽だったが、僕はひょっとしたら彼らに対し想像もつかない貢献をしたとでもいうのか、例えばメンバーなり主催者の命の恩人だったりして、そう、危うく車にはねられそうになったのを救助したり、あるいは逆に僕がはね飛ばされてしまい、幸い怪我はなかったけど醜聞を避ける為こんな要望が叶えられようとしているのだ。理由づけは無茶苦茶なほうが今は救われる。とにかく段々と内包されているのが不気味になってきた。

 

視線の世界は緊迫だけを強要しない。いや厳密には一所に収まっている静止画を否定する働きがあるから、無様に飛び散ろうが、勝手に飛躍しようが、心底拒み続けようが、不確かな収斂はのちに検証されるべきで、この切り替わりは一種の意匠だとさえ思えてしまうのだった。

「ウミガメなんか引き上げてどうするんだい」

潮風を側に感じるはずだ。すぐ先には船着き場あって、こじんまりした堤防の下のわずかな足場を頼りに一人の男が、けっこう大きなウミガメを素手で捕まえようとしていた。声にしたつもりだったが僕の所感でしかなく、男は悠々と海面に顔を出した獲物を引き寄せてしまった。他に人影もなく、あんな狭い場所から一体どうやって陸地へ上げるのだろう、それともただの戯れなのか。別段どうした思惑もなかったけど、気がつくと僕はいつの間にやら心許ない足場を横這いしながら男のいた方へ歩んでいた。が、すでにその姿は視界になく浮上したウミガメも消えている。

先ほどまでの焦燥が霧散した安心を得るより早く、陽の陰りは鷹揚に所在なさみたいな気配を深め、かといって寂寞とした空間が形成されてしまうのではなくて、どこかしら不透明でありながらさほど臆することのない、あえて言うなら無人の児童公園を見回している風趣があった。それが哀婉な詩情になびく手前で凍結しているのだから、旋回しているのは上空の鳶によるまじないかも知れない。案の定、僕は軽いめまいを起こしデコボコした足もとに危険を感じた。しかし、意識が定まると目線を落としたところに弁当箱ほどのカメが可愛らしくのろのろ動いており、一気になごんでしまった。

ウミガメの子だろうか、そっと足音をしのばせ両手で甲羅を持ち抱えてみれば、案外重みがあり無性にうれしさが込み上げてきて、そのまま細い足場から引き返そうと急いだまではよかったのだが、その先が悪かった。

海岸だからいろんな生き物がいるだろうけど、何もあんな物凄い蟹を出現させなくたっていいではないか。ゆうに一畳はあろう、全体が赤茶けたまだら模様でちっとも晴れ晴れしくない青みを点綴させた異様な蟹がぬっと半身を出し、通り道をふさぐようにしてうずくまっている。

冗談じゃない、平家蟹だってあんな面相を見せはしないだろう。ちょうど歌舞伎の隈取りみたいな顔つきで睨みを効かせ、完全に僕の行く手を遮断しているのだ。これには驚きを通り越し怒りの感情が恐怖の影に寄り添いながらもたげ、二三歩下がりながら、反対方向を確認すれば更に歩幅制限をあたえている現状が困惑に直結する始末で、増々化け蟹の威力に圧倒されてしまった。

妙案とは夢想とともに眠れるものなのか。「置いてけ堀だな、これは」取り留めない情景がはらむ不穏から逃れて束の間、今度は逼迫状態を見事に演出している。

カメの子に未練などなく僕は直感に従い、今にも這い上がってきそうな勢いを封じる為、力まかせに手にしたカメを蟹に命中させると、まるで呪術が解けたように目の前に鉄梯子があるのが分かり、やっと苦難から脱出できたのだった。

 

視界が大きく解放されたのは必然と言い切るべきだろう。バスターミナルの喧噪はただ単に僕を圧迫するだけにとどまらず、ベースギターのことが再びブーメランとなって舞い戻り、放棄されるべきデタラメに律儀であるほうが妙だという意識と葛藤し始めていた。

それにしても大型バスが連なってすぐ横をすり抜けていくのはかなり騒々しく、どの車両にも乗客がひしめいておりとても乗りこめる余地はない。しかも停留所から半周し走行しているので、相当のスピードは生暖かい疾風を巻き起して一層不快な気分にさせた。注意するでもなく行く先を掲げた運転席の上部に目をやれば、あ行、か行、さ行と見れた。これ又まやかしかと思ってみたが、向こう側の乗り場に人がいたのを幸いに「あのう、このバスは何処へ行くのでしょうか」と、訊いたところ中年男は怪訝な表情をしながらこう言った。

「万博だよ、あんた知らないの。それぞれの名前で振り当てられているからね、混雑を避けるためにだってさ」

脇をた行の車両が駆けていった。

「僕の名前はなんていったんだ」ぽつりとつぶやいたつもりだったが、中年男は「ほら、な行が来たよ、これで5番目だな、名前なんていつも曖昧だよ」

そう人ごとなのか、親身なのか区別し難い声色で教えてくれた。

「じゃあ、間に合わないですよ、か行はもう発車してしまったから」

落胆の色が濃くにじみ出ているのを自覚し情けなかったけど、そんな適当な言い分をうのみにしている佇まいはもっと影が薄く、続けざまに、は行、ま行、や行と走り去るのを見送りながら「いちぬけた」腑抜けた語調でそうもらした。すると呼応でもするように「ベースの練習はどうしたんだ」誰が喋りかけたのだろう、確かにこの耳へ聞こえた。

厳かなターミナルは静寂が間延びしている。同時に時刻の設定も用済みらしく、曇り空でもないのに太陽は地上に関心を寄せていない、違う、ただそう映っただけかも知れない。

ウミガメの子がとことこ僕の方に向かってきたのを認めたとき、醜悪な蟹が現われたよりも数倍の驚きがあり、その動悸を反響させているのは紛れもない感動だった。

「どうしたんだい、こんなところまで来たりして。さっきは痛かったろう、放り投げてしまって」

子ガメに言葉は通じているのだろうか。

どうにも確かめようがなく、手を触れるのもひかえて見守っていると、僕を意識した素振りなど示さず、我が道をゆく調子でまっすぐ進んでしまったので、唖然とするしかなかったけど、どこかしら晴れやかな気分がほんの少しだけ後から着いて来るのだった。