美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架〜4

清也のいわゆる物憂気な、自分でも少々むずかゆくなる斜に構えた気取りは、半ばある種の疲弊に冒されている紛れもない心境によるものだった。

連立する高層ビルが遠近感を忘れさったかのようにのっぺりと白々しく車枠の向うに現れる。が、その背後には巨大な女神が天空から温柔な微笑みをもって、街の目覚めを見守ってくれているとも感じられた。

先ほどまでの夜の住人らが蔓延っていた空間を、バラバラに裂かれた地図を、もう一度錬金術で蘇らせみたかったが、乱雑きわまりなく収拾のつかない様相に終わった電飾の交差点を含め、すべて白塗りにされる女神の偉業の前にはどうすることも出来ない。

夜明けはやはりその時刻の短命からいっても恐るべき魔術である。夜の闇はほんのわずかな過ぎゆきで光の国となる。

清也はそろそろ空車のタクシーが走り出す頃に、そんな交差点辺りの喧噪とは無縁で葉子の所有する外車に乗り込んだ。

父親からのおさがりだというが、そうそう二十代半ばの女性が乗り回すことが可能な代物ではない、聞けば誰もが周知の高級車である。清也はこのとき、酒場の店員に鍵を渡し専用駐車場から慣れた仕草で車を表へ横付けさせる葉子の態度に、いとも簡単に帰途が確保される余裕に、少なからず屈折した気分を抱いた。

たしかに昨夜は、そして現在も自分と葉子がふたりして世界を回転させているくらいの目くらむ夢見な時間であるはずだ、しかし無縁の心境でなどと意識的になった瞬間、宵闇に包まれだした街の情景をフィードバックさせてしまった。

この払いのけても頭の隅に居座る欠片のようなものは何なんだろうか、葉子に対する事柄に関わらず随分と以前から、本当に小さな時分からこういった強迫観念とまではいかないが、それでも些事の割にはひっかかるものとして時折、不思議な感覚にとらわれることがあった。ただ、欠片断片であるが故に忘れてしまうのも早かった。

むろん今の清也はその奥底に潜む得体の知れないものを意味ありげに、意識的に究明してみようなどと考えてもみなかったが。

「俺けっこう飲んじゃったからさ、悪いけど運転は」

「当たり前でしょ、いつもいいって言ってるじゃない。自分の車なんだから私の方が熟練してるの、そんなおべんちゃら使わないでよ」

葉子は清也の気兼ねの内に含まれるものを見通すように言い放った。

しかし清也からしてみれば、年齢は同じだが性差以上に葉子の全身から弾けるように踊りだす派手やかなイメージと、その反面世間を知っているようで以外とすれていない素朴な側面を、時折かいま見ることがあった。

自分が努める社長の情婦だともっぱら噂であり、清也本人もそれを承認済みで交際を求めたのだったが、驚いたのは葉子の特異な価値観にあった。彼女はまるで宝石を鑑定するような口調で清也にその件を語ったのである。

「ねえ、みんなさあ、私が社長にお金で囲われているって思ってるかも知れないけど、うちのパパの会社の方がここより年商多いのよ。それから、たしかに今の社長から言い寄られたし、洋服とか買ってもらってるけど、私も社長のことが好きだったの。ええ、ワンマンだしけっこう敵も多いみたいだけどね、野性味のある男性ってけっこうタイプなの。それと私、やっぱり押しに弱いのかな、清也くんだって猛烈にアタックしてきたじゃない、そういうこと。自分の好みに合わせられたらそれが一番素敵なことよ」

又、こうも話した。

「生まれた時からものに不自由したことないのね、でも高一の時にある人のことが好きになって、でもなかなか本人に言い出せなくて。それでね彼の感心をひく為と想いをこめる意味あいで、プレゼントと一緒にラブレターを渡したわけ。だけど何を贈り物にしようか考えつかなくって、彼、私より先輩で頭もいいし国立大学を受験するって聞いて、友達に相談したら彼の家は母子家庭らしいからお金がいいんじゃないかって、そこで私、現金じゃなんだから小切手で十万円渡したの。そしたらこんなこと高校生のすることじゃないってえらく怒られた、悪気などまったくなかったんだけど、、、」

清也に可能なせめてもの反応は、うつむき加減でただ薄笑いを浮かべるだけであった。