美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架〜5

清也のしなだれたようにも見えるだらしなさの居住まいは、つまるところ自然発生的な姿態として今ここにあるのだろうか。だとすれば、若さと情熱は素晴らしい均整をもって自分自身を誘導している。

同年の女性にしては手に余るには違いないが、清也なりに葉子同様、思わぬ空洞をその身にひそめていた。

人の噂ほど伝達の素早い手段はいつの時代だって同じこと、社内ではすでに上層部、厳密には社長本人も清也と葉子の関係について何かしら耳にしているのでないか。そういった気配を必要以上に警戒してしまうのは清也に限らずとも、そんな情況におかれた者なら誰もが同様のな神経を酷使するだろう。

ところが幸いこれといった兆しはなく、まわりの風聞も葉子があまりにあっけらかんと「新入社員では大橋君がタイプかも」などと同僚に陽気に打ち明けたりしていたので、勘ぐりが入り込むまえに噂はたち消えになってしまっていた。

ちょうど焚き火を不審と訝られる最中、枯れ葉を威勢よく加えることで多少の火焔を上げようが、疑りを抱かれないように。

 

火は燃え上がる。時と場は異なり、思わぬ間隙から火柱が立ち現われる。

この物語はそんな火焔の影をスケッチする為に綴られる。

あの偉業を来る日も来る日も成し遂げる夜明けの女神は決して放火などしない、ましてや夜空に引導を渡すだけの大仕事をやり遂げ、すべてを白日のもとにさらせても、人の心に直接、火を灯したりはしない、否しないのではない、してはいけないのだ。

発火は雷神に委ねればよい、女神の関与する領域とは別ということなのだ。こんな神話的世界が存在する以上、後は私たちが錐で闇をもみ開けるとしよう。その前に駆け上がらなくては、そう螺旋階段を。

 

清也の隙間はある意味、極めて尋常な優等生的な模範をしめしていた。というのも葉子のプロフィールが万全といかないまでも、これまで読者に提供した彼女が魅せるグラマラスな雰囲気と、無垢なる故にけれんみのない装飾が奇妙な融合を示している様を想像し輪郭をなぞれば、ある無粋な疑問符が如何にもあらかじめ決定されたことの如く、両人の間に実情として浮上してくるのを感じとってもらえるだろう。

ところが事実はさかしまなり、驚くなかれ、大橋清也は入社一年に満たぬしがない薄給取りの身分でありながら、かつて交際を始めてからこれまでただの一度さえ、そう食事や飲酒、コーヒー一杯分の代金も葉子に支払わせたことがなかったのだ。

恋しいと思えば高校生の分際にかかわらず大金を小切手で差し出す、葉子に対してである。

彼女も最初は礼義と軽く受け取っていたが、度重なるに及んで次第に心苦しくなり、やがてはっきりとその旨を伝えた。

それでもかたくなに初心を貫く気概を、葉子は意地なのだと解釈しようと努めた。このほうが清也の矜持に即することになり、また自分という不相応の恋人を手中に収める階段にもなる。しかしそれなら、影口でささやかれるように今度も又、お金を貢いでもらう情況と似通ってくる。

高価な物品を与えられてはないにしろ、すべてのデート代を一切引き受けてもらうという関係に葉子はやはり違和感を拭いきれなかった。

「どうして、こう言ったら不快でしょうけど、私の方が使える小遣いは多いと思うの。そんなに無理しなくていいのに、もっと普通にさ、自然体で」

「これが俺の自然体なんだ。そうさせて欲しいんだよ。べつに無理なんかしてないさ。いつも君の車に乗っけてもらっている、ガソリンだって満タンにしているから、そういう意味ではおあいこさ」

結果、本当に持ち合わせのない折にはきちんと葉子に伝えるという約諾でその問題は解決したのだったが、この経済的な観念の内奥には、清也の真の間隙が透かし見えている。

もう少し目を凝らせば明確にゆるぎないものとして、私たちをある種の感動へ誘ってくれるに違いない。

すなわち清也が欲したもの、そう結局のところ彼は葉子を占領したかったのである。当然といえば当然の帰結へ収束する情念が成す業ではあったが、実際には葉子を独り占め出来なかった。

社長との関係はあれから途絶えることなく続いており、そしてそれが割合淡白な内情であると知れた為に、清也は葉子から二重の緊縛を受ける羽目になった。

自由と不自由の両方を手中に収めた幻想が飛び交い、視線は常に狭隘な宙を舞っていたのである。

あたかも十字架を背負った火の鳥のように。