美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 24

過ぎゆく四季への目配せ、、、純一がこのまちで体感し想像した一種の儀礼。
そして彼が東京から持ちこんだ、徹底した自慰の精神。これはおごそかに存続され、また両親の提案を受け入れたことと同様、表面的には妥協によってなかば解体されてしまった。
だが、よくよく振り返って考えてみると最初、朱美がもたらした禁断の香り立ちに煩悶してみせた自分のすがたには、鋭利な刃物のような禁欲精神が屹立しており、徹底した自慰へもう一度、降りてゆくための受難劇を成立させる気概がまだまだ見受けられるではないか。

やがて太陽の高まりは、そんな孤影を大地にしらしめ叱咤激励するとでも云うように、はやくもこれが寸劇であることを証明してみせるかの如く、自分をとりまく役者たちも強烈な陽射しを浴びながら、速度を増す季節のうつろいに応答し、すばやくまわる舞台のうえで、肌理こまやかな律儀な演技を披露させる。
森田に誘われた一夜、後々に判明したことだが、やはりあの勧誘は婚前の香穂への気遣いもあったのだろうけれど、何よりも麻希の傷心を、、、女性特有の愁いにほだされ意識の深みと云うよりも感性の共振で、ついつい遊びごころの振幅を拡張してしまったことに帰着される。
それが悪戯と呼ばれるのか、好意と呼ばれるのかは、それぞれの思惑のなかでただただ意味づけられよう。

森田自身もまだ離婚の痛手を完全に振り払っているとは言えなかったし、あの夜、麻希からそっと耳打ちされるように知らされた三好荘との関わり、、、幼なじみなら朱美は意中のひとであったかも知れないこと、さらに声を低めて、
「森田さんの初体験ひょっとして、ひょっとしてよ。わたしにはわかるなあ、おんなの勘よ、いまでも想ってるんじゃないかって。でも、揃ってバツイチじゃ、世間態もあるだろうし、あっ、わたしはそんなのあまり気にしないけど、三好のお父さん頑固もんだしね。森田さんはけっこう繊細なとこあるから」
そう聞かされた片方の耳朶には、おとなの世界だけで共鳴すべき哀愁の音色が流れていった。

このまちの人間模様など及びもつかない純一ではあったが、思えば、森田が朱美に今もなお懸想していたとしても、それが互いに離縁の身上であると云う境遇でより深く、より揺るぎないものとして、地下で目覚めていることは決して夢物語ではないはずだ。
借りに世間と云う障壁にはばまれていたとしても、おとなの男女が織りなす気高さと危うさの交わりには、見てはならない爬虫類の腹のような不気味な色彩がほどこされているから、背伸びするわけでもなく、そこには何とも淫らな空気が沈滞し続け、ただちに視線が釘付けになってしまったようしばらく身動きがとれなくなる。
それが官能と云う、機能とあきらめをつけるまでは。
森田の口から、まるでおとぎ話の如く壮麗な、悲劇の如くやるせない、胸襟を開ききった哀切に満ちた話しを聞かされることになるのだが、その顛末はいずれ章が代わって、舞台模様が変転したのちに物語れるであろう。
ここでは純一の童貞を見抜いた森田があたかもかなわぬ己の愛欲を、彼のすがたに仮縫いするよう意趣ばらしを講じてみたと云うことと、そんな企図を察知するまでもなく、戯れのこころでもいくらか癒されることを、また恐ろしく無邪気に振る舞った麻希の天真爛漫を述べておくだけにとどめたい。
むろん、このふたりは計画的にことを運びだそうなどと考えておらず、なんら相互に指示もなく、あくまで純一をとりまく役者として、そうした役回りを演じたまでであり、その一挙一動は本人たちが観想する枠を越えたところで立ちまわって、陽がのぼり夜のとばりが降りる自然のさなかに、そして超越的な書割りのなかでのおごそかな演目となったのである。
さらには彼らの演技もすべて純一の脚本であったとすれば尚のこと、、、自慰の精神はそんな驟雨のような寸劇に想いを馳せた。

四季への一瞥、、、初恵との出会い、進行形の跳躍。演出家のいない自然の感情表現。さようなら夏の日よ。
純一は以前の彼ではなかった。