美の特攻隊

てのひら小説

幻惑されて

不断の満ち欠けを気に留めることもないまま、夜道に日は暮れないなどと、健気に、そして眠気を多少こらえているような心持ちで歩いている。

稜線は夜空に昔話しを語りたいのではなく、今日一日の想いがまた過ぎ去ることを自愛をこめて切々と訴えているように見えた。とはいえ月明かりに感謝したくなるのは、墨汁が白紙に触れた刹那をいち早く察し、あたかも秋波を送られたときのためらいと同様のぎこちなさへ通じていたからだろう。

すると輪郭を際立せているのは眠りつく山々の思惑ばかりとは言えず、太古より培われた自愛だけよりどころにするわけにはならない、そう、まさに天空から降り注いでくる夢見の哥によって、目覚めの周辺が仄白くなり、今宵の足取りはまどろみつつ先をゆく。

急ぎ足であったのが、確か一昨日の日暮れ時で方角も逆ならば、雨上がりの余情をたたえなくてはと、気がせいたのも風景の妙趣で、あたかも優雅な筆先によって山腹に白煙を流させるあたり、却って家路を遠ざけている感じがもたげてしまい、安閑な時間のなかに立ち止まる運命となる。

煙る山並みこそ、予言を越えた報せであり、訝しがる思いは有機的に隠蔽されているのではなくて、無機質なもやのうねりに好感が歩み寄っている怖れに忠実でありたく、みやびな霧の発生は緩慢なるゆえに、脳内時計を狂わせ、ひたすら三昧の境地に臨む徳性を授けてくれる。

虚ろな白さに酩酊以前の冷静な困惑を覚えること束の間、そう遠くもない霞に赴けばなどと、風流なまま立ち往生しているのも不甲斐なく、結果は紅葉の華やぎへ横目を走らせる、あの形式ばった健全さでほだされて、適度な注視に甘んじてしまうのだった。

 

が、季節はずれの流しそうめんに興じている人々に焦点が絞られるのは、すぐ先のはずだから山間部の情趣は据え置かれ、白煙となって魅せた雲の儚くも静謐な一幅は、割と粋な計らいをもって、その形状を無くすまえに、呈のよい趣きに設けられた孟宗竹を流れゆく純白のそうめんへと変容していく。

かねてより戯曲の題材にと夢想を羽ばたかせていたので、一昨日の暮れどきが夜道の向こうに連なっているのは自然の成りゆきだと頷き、早足を意識してしまう小胆を叱責しながらも、苦笑いの奥に投げやりな態度を知る思いが募りはじめ、そうすると夜を急ぐ風の便りが行く末の分まで送られているような錯覚を引き起こして、戯曲の場面がすでに描かれた地点にまで到達するのだった。

混然とした胸中とは無関係に色づく悦びは気流に乗り、鮮明な映像を認めるに従い、すでに一軒の民家の庭先に展開している光彩のなかへ飛び込んでいる。

かがり火の反照を自ら横顔に覚えるのは心地よく、同時に夜と戯れている人たちの無邪気な笑みも間近に迫っているのが分かって、そのあどけなさを見遣る数秒後には、なめし皮を撫でているような感触が得られ、実体なき風合いの影に戦きつつ、光源が抱くしめやかな邪念を崇めてしまうのだった。

やがて揺れる木の葉に音なき音を聞きとり、雑念は雑念であるままに宙を舞い、塵埃の汚れから意味が拭われ、転じて夜空にまたたく綺羅星の沈黙と饒舌を了解すれば、自ずと囁きが秘める情景に想い馳せ、光芒はまぶたの裏にあふれ出し、闇を駆逐する勢いで赫奕として舞台を照らし始める。

再びそこに映しだされるものはより彩度を深めた演出の妙であり、気高い色香は崩れる美意識を表象して、薔薇の宿痾を讃えたるあの美しい比喩、決して凝固しない血を流し続ける傷口、との一節を想起させ、暗黒の太陽を我が身に輝かせた。

花弁の自在に対立した絶対の温度、肉体の凍結、心象の固定、空間の嘔吐、これら反作用とも無縁ではないが、時間はやはり虚しいのではないのかなどと内省が働いた途端、念いも一気に氷解し淫らな考えともども、冬の夜に似つかわしいそうめんの涼味となって白線は清水に流れゆく。

そして爛漫なる破顔は、半身の器と化した孟宗竹をすべり、子供らひとりひとりの情をまとう金魚のすがたへと移り変わる。

呪詛と祈祷がひとつの水脈からくみ出されるのは、言うまでもなく月と太陽の共謀であり、予言者にあまねく神秘を付与させる為であろう。