美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜15

着席とともに授業がはじまる。薄霧に被われたような沈黙が教室全体をゆるく束ねだし、わたしは貯めおいたつもりだった余裕をなくしてしまった。
そんなもの元々あったわけじゃない、なんて自己弁護してみても粛然とした空気は時間にブレーキをかけたのか、微かな震えだけが授けられる。
先生は教科書を片手にしたまま、黙読の姿勢に入り込んでいたから、なおさら誰か咳払いのひとつでもとか願ってみたけど、まわりはあたり前のように静まりかえっていた。考えようによれば先生は問題を思案中で、いきなり隙を狙い質問を石つぶてみたいにぶつけてくるなんて、まあ、それが妥当なところかもしれない、というわけで向こうまかせの秒読み加減にあぐらをかいたの。
すると思ったとおり、眉根を曇らせることで愁いを際立たせ自らの美貌を意識してやまない先生のことばづかいに小さなな変化がうかがえました。
「そろそろ文化祭が近づいてきたことですし、みなさんに伝えておきました課題はどうでしょう。あっ、志呉さんには説明が入り用ですね」
その目には一瞬だけ怪しいひかりが灯り、瞬きとともに秘密の合図が送られたような気がした。
「他のみなさんももう一度よく聞いて下さい。それと10年学級での経験を踏まえないといけませんね」
ついに来たわ。
わたしの背筋はさらに伸び、眼球が何ミリか飛び出したような感じがする。
「志呉さん以外は初めてですね。10年学級、選ばれしものだけが進める特別教室」
生唾を飲む。
急展開のアクション映画を観ているみたいな、そして目を凝らすほどに物語の展開を遅らせたい願望がもたげてくる。あの物悲しさを含んだまなざしと微かな音階に支えられて。

「この制度が実施されたのはもうかなり昔のことです。どれくらい昔かといいますと、わたしも生まれてなく、こんないいぐさでは解説になっておりませんが、なにぶん神話的要素に満ちていますので、具体的に述べることが出来ません。別名では扉学級と呼ばれています。志呉さんはよく分かっているはずですね」
冗談じゃない、魔のトンネルでしかない地下道、ひたすら暗く、、、いや、はっきり思い出せない、ただ、ひたすら怨念めいた気持ちを長引かせていただけなような、もしくはひょっとしたら自分自身について誰にも邪魔されず徹底的に考えこんでいたのかも知れない。
とにかく先生に指摘されても明解な返事を言えるはずがないので、わたしは困惑した表情をつくってうなだれていました。すると先生は、
「いいんですよ、つらい修養だったのでしょうから」
なんて言い出すものだから、こころの内を読まれている気がして鳥肌が立ち、同時にヘナヘナとからだの力が抜けてしまったの。
「は、はい、長すぎて、どうにもあやふやなんです」
ええ、正直だったと思いますよ。反応も返答も。
わずかな波紋みたいなものが粒子状になってまぶたの裏にきらめいていたけど、それすら遥か彼方の星明かりのようで仕方なく、想いは儚く散ってゆきました。
「それでいいのです。忘却の道として歩んできたわけですから。と言ってもよくのみ込めないでしょう、当然です。大事なことは結果であるより残骸のほうに価値を置くべきで、それは幽霊の基本姿勢でもあるのですね。志呉さんはとても貴重な体験を積みました。さあ、ここで基本に戻るべく意識を純化させなくてはなりません。分かりますか、記憶の解体と構築です。あなたたちは生前の想い出をいくらか保ち続けています。なぜなら会話を理解するにも、食事をするにも、掃除をするにも、つまり日々の暮らしを失ってしまっては困りものだから。
記憶喪失者が最低限の行動を保持している情況を思い浮かべてみてください。いわば基本の記憶はきちんと残存しており、それはあたかも骨格に似て土台となり肉付けはこれから行われる為にとも言えるのです。よろしいですか、みなさんは人間であって人間ではない、新たな生命が付与されている人造人間だと思ってください。本来は無なのでした、宙を舞うこほりにさえ及ばない浮遊する霊だったのです。それが今この教室においてはどうしでょう。胸を張るまでもなく生きていると断言できるではないですか」
先生のもの言いには震撼とさせられる箇所もあったけど、意気の高揚も付録みたいなかたちで後追いしてきた。
いえ、むしろ詭弁と感じられたにせよ、進んで騙されたいような内部侵略を認めたい気持ちが優先していたと思う。わたしは口答えする意義をすでに放擲している。もうどうでもいいとかじゃなくて、自分の居場所がようやく感取できそうになってきたし、命を吹き込んでもらった事実はそれこそ夢見であったとしても、ここに新たな生命の息吹を見いださないで、どこを見るのだろうって強い念が生じていた。
聞く耳はきっちりしてましたね。さて先生の話しは続く。
「文化際の件なんですが、みなさんにはそれぞれ自分で似合うと思える姿を演じてもらうわけですけど、考えてきてくれたかな。4年に一回の催しですから、ぜひとも奮起して欲しいのです。志呉さんは記憶こそ薄れていますが、ある意味において修養を積んだことになりますので、割とすんなり聞き入れられると先生は信じてますよ」
ふたたび緊張に襲われた、でも軽い、すでに浮ついているから。
「志呉さんには初耳かも知れないけど、実はそうではないのです。文化祭に参加したことがなくてもその意義は理解していると思うからで、もし疑問があれば詳しいお話しはあとからにしましょう。
ではベロニアさんからどう工夫したのか聞かせてください」

思わず振り向いた目線に連なるよう先生の意識が背後から被さってくる。
どうみてもあまり年齢差のない後輩の顔かたちにふと感心しつつ、凝視を強制されているような気分にとらわれた。
「はい、わたしはひたすら薄笑いを浮かべながら佇んでいようと、それで」
「それで」
「向こうが逃げださなかったら、抱きついてみようと思うのです」
「まあ、いい発想ですねえ。前向きでよろしいわ、衣装はこちらで用意しておきます」
目尻がやや垂れているけど、端正に切りそろえた前髪とよく調和した涼しげな瞳は清純な雰囲気を訴えるに十分だ。呆気にとられている間もなく、
「次はマリアーヌさん」
と、まるで掃除当番の割り当てとかされてるふうに応答される。
わたしは椅子を斜めにずらして後ろに並んだ生徒たちの言動に魅入っていた。
「なんでもよかったんですね、先生」
「その通りです、自由な思いつきが大事ですからね」
「上半身を露出してもいいですか」
刹那、先生のとまどいを横顔に感じたけど案の定、沈着な口調で、
「よろしいですとも、潔くて感心しました」
と切り返えした。
このマリアーヌという銀縁めがねをかけた勉強に真面目な姿勢の少女、えらいこと言い出す、それに先生も先生だよ。しかしまだ唖然とする猶予はあたえられてないみたい。
「ではフランツくん」
ただひとりの男子だ、わたしの記憶にある限りみどろ沼で最初の男子、あまり目をあわせなかったのは実を申せばなかなか格好よかったからなのです。彼はさも面倒くさそうにちょっとあごをなでたりしてからこう答えました。
「女装して、怪しの趣きを醸し出すつもりです」
なんと、、、わたしはずっこけそうになったけど、不思議なことに声が野太いにもかかわらず、その意見をすんなり認めている。これはひいきめでしょうね、きっと。頬にさっと暖かいものを感じましたから。
「大変おもしろい企画ですね。先生がお化粧してあげましょう」
もう勝手にしてよ。
お化けの仮装大会なわけ、文化祭って。あっ、いけない今度はわたしの番だった。
「志呉さん、おおむね理解されましたか。先輩として一言どうぞ。企画の方は次回までに考えてもらえればいいのよ」
理解なんかしてません。なによ、ひとを小馬鹿にして。と口にしたかったけど、どうした作用が働いたのやら、
「変装してなにかを行うと推測しました。企画なら思いつきました。わたしは地縛霊になろうと思うのですが」
そのときはすでに真正面へ向き直ってました。そして先生の顔色に陰りが射したのを見逃しはしなかったのです。