美の特攻隊

てのひら小説

ろくろ雛

徹子の部屋じゃないの」

「いや、それが節子の部屋っていうんだ。深夜の放送だし雰囲気がまるで違うよ。あのタマネギおばさんでなくて、もっと若く華奢で、儚げでいて葬式みたいな着物で冷ややかだけど、ほんのりと浮遊してる色香のある司会者で、ちゃんと画面の下に『しろやなぎ節子』ってテロップが出ていたから間違ってない」

「録画しなかったわけね」

蛍光灯のもと、長いまつげをくっきりさせた目のひかりも初々しい少女が、訝しげにそう問うた。

「だから記憶に乱れが入るまえにこうやって聞いてもらってるんじゃないか。外で酒飲んで帰って惰性でテレビつけたら、最初は変な番組だなあって眺めていたんだけど、次第に酔いも醒めてきてね、なんせ、見たこともないタレントだし、どこかに引き込まれそうな得体の知れない感じがするからあわてて録画したんだよ」

七三に髪を分けたいかにも実直そうな顔をした青年の鼻息は、荒いというよりか清々しい。

「でもあの放送は録ることができないんだろうな。そうに決まっている、落ち着いてリモコン操作してみると時間帯に関係なく、番組は空きの端子に映っていたんだ。さあ、早く話してしまわないと鮮度が落ちてしまうどころか、忘れられた夢みたいに二度と呼び返せなくなってしまう」

 

 

酔眼とはいえ、目にも鮮やかな毛氈が放つ朱を諌めるふうにして居並ぶ雛人形、背景そのすべてを飾りつくした有り様の何ともきらびやかで騒々しく、それが何段にしつらえてあるのやら、女雛男雛は一体どの辺りに鎮座しているのやら、ぼんぼりの薄明かりが灯る加減は深紅の影に吸い込まれ、闇夜を彷徨ってみれば、おのれの黒目がただふたつ宙に舞い、五人囃子の奏でる響きも遠くに退いて朦朧たる意識のむこうに光芒を知る想い、三人官女のお歯黒にふと気づいたときは錯乱も心地よく、眉かくしの霊さながら「似合いますか」の一声にはっとし、青年は座敷に対座する女人が今宵の主賓だと知る。

際限なき雛壇の上方に光輝な金屏風の威厳を認める間もなく、地と図が反転する優雅さをまざまざと見せつけていた。それはまるで紅葉に染まりきった峰々を背にしながら浮き上がる白描画のようで、薄花色の帯締めが、かろうじて経帷子を彷彿させる白着物すがたを回避させながら、司会者がまとった黒衣の和服と見事な対照を示している。

呂久路首子と紹介されたうら若き女性は、画面に収まりきらない深紅の節句を大道具とみなされてしまうのを悔やんでいるのか、また平安の時代より生きながらえてきた人形も控えていることを悟ったうえで、その首をほんのまねごとみたいに心持ち、ぬっと伸ばして見せた。

しろやなぎ節子は風姿と似つかわない闊達な口ぶりでそんな首子を褒めそやした。

古風な日本髪の端麗さをそこなわず、簡素にまとめあげた髪結いが典雅であるとか、切れ長の目もとに紅梅をさっと擦りつけたふうな風合いが妖しさを招いているとか、やはりろくろ首であるからには薄笑いは絶やさず、眼光なめまかしく気味悪さを覚えささなくてはと断言してから、さきの一声をもらすよう促したのだった。

似合うも似合わないも、青年はただただ唖然として心音の鼓動が止まってしまったと感じ、寡黙なろくろ首を相手にその空隙を埋め尽くすよう饒舌なまでに語る節子の言葉が、この世に伝わるものとは到底思われなくなっていた。

そしてうなずく代わりに美しき宿痾の本領を発揮し、微笑をたたえた顔面がするすると襟足から伸び上がっていく様に取り憑かれ、失禁しかけ、はらわたをめぐる液体は奔流となり、上半身から下半身にまで血とともに逆巻き、いきり立つような、例えていうなら牢獄に服する身でありながら自由を得てしまった夢想が何度もくり返される興奮に囚われたふうに、青年はろくろ首にそれとなく欲情に近いものを覚え、ときの経つのを忘却していた。

司会の節子の語りを聞き取れなかったわけでなく、五人囃子の能楽を鼓膜に震わせてみても、ちょうど裏山の岩屋にひとの気配を察っするにとどまり、それ以上の興趣を持ち得なかったし、あべこべに予言に等しい感覚で来るべき光景を待ち望んでいた。

ろくろ首が宿命であるなら、自分の五感が描く図式は呪いきれない風景にいつもまぎれこんでいよう。

青年は見苦しさを卑下したのでない、この身をつたう、いや、この空間に飛び交う電波や音波、霊波などを拾い集め、真夜中に浄めようとこころの底で願っている不遜に嫌気がさしていたのだ。

それでこんな妙な番組を見てしまっても、異様な興奮が抑えきれず、目は釘付けになり散らばった想念のゆくえを探ることさえ放擲し、むしろ脳波と協調した青みががった画面に真っ赤な悦びを知ったりする。

呂久路首子は女優であり、今回の映画ではじめて大胆な濡れ場を演じたという話題を聞き逃すはずはない、節子の軽やかな口調は微量の生唾を飲み込むような按配で、それから予告編が紹介された。

「想像にまかせるなんて言わないでね、わたし、平気だから」

少女の瞳の中にはちいさな蝿が飛び回っている。だが青年にはその蝿を捕まえることも追い払うことも出来なかった。

「するするっと、いや、ぬるぬるっとかな、むくむくっとかも知れない。伸びて伸びて、絡んで絡んで、巻きつくわ、締め上げるわ、ろくろ首のはだかは奇麗だったよ。相手の男は普通の人間でね、なんでも公募で選ばれたらしい」

「AVみたいね」

少女の声は明るく、他愛のない会話の域から一歩も出ていないと青年は考えた。蛍光灯が地虫に似た音をひねりだしている。

「そんなもんかな、いいや、少しばかり違うような気がする」

「どこが違うの」

「すまない、話していたら段々思い出せなくなってきた」

「そうなの」

わずかなうつむき加減にもかかわらず少女の長いまつげは、失望から来る濃い霧を招いている。

青年はそう見届けるだけの時間がまだ残されていると思うのだった。