美の特攻隊

てのひら小説

金魚

夕暮れ、気まぐれ、所在なし、ほろ酔いにまかせておいた狭い庭を見遣る目つきは空を切ったまま。
耳朶に届いた鳥の鳴き声、さながら障子紙に浅く鋭く砕け散る。
カラスの群れが山へ帰るのなら、そろそろ杯を置き、重い腰を上げよう。
昨日までの長雨、庭の片隅まで冷えたしずくを残したまま。

たしかに聞き覚えのある文句が残響し、記憶の裾野に軽やかにすべりゆくので、思わず苦笑い。
そうさ、金魚売りだ。テレビの時代劇からこぼれでた声色、祖母が見入っていた画面から。

いつか読んだ短編小説にこうあった。
「すぐそこだから」
なら、行ってみよう。いいや、遅疑の末、渋々ではなかったか。
「驚いたのはこっちよ、なにさ」
女の顔には須臾の間、木の葉のような薄い憎しみが抜け出し滲む。媚態はもちろん宙にふわりと舞った。

金魚鉢に向い「ほら仲間だよ」と話しかけ、黒い出目金を水底に沈めた。
縁日ごとにすくってくる金魚、これで三匹。新入りはどうした案配か、片目の異形。
これが最後まで生き延びた。
その後、何度かもっともらしく朱をなびかせる奴を持ち帰ったのだったが、寿命は短い。
愛着を覚えるに理由はいらなかった。
それなりに世話をし、えさのやり過ぎに気を配った。
しかし出目金は、子供の遊び時間をいくらか張り合わせただけの、たとえば寝入り際の息が希薄になるひとときを、泳ぎ着いただけだった。
傲慢なる意識、、、張りぼての玩具、そうかも知れない。
漆黒の尾ひれが透明な水を濁す幻影に似て。

黄昏の想いは気だるさを伴いながら、その反面なにやらからだの芯とは縁のない、奇妙な感覚に包まれて、熱病が治まったときのような殊勝な心持ちが浮上しては、誰彼となしにいたわりの言葉を投げかけたくなる欲動が発令され、一瞬哀しみが風にそよぎ、せせらぎの音を聞き取ったかの清涼な体感がめぐると、不意にうしろを振り向いてみたくなり、だが、そこに幻も禍々しい影もあり得ないことを認め、舌打ちするまでもなく、軽やかな意識にそって、葉にしずくがほろりと垂れる情景が流れゆく。
彼方遠くへ。
後追いの気分は過剰な想念をいさめるよう、ちょうど優しげな年配者から小言を受け、反撥と同時にうなずいてみせる視線が地に落ちる様に重なって、ゆったりとした淀みに連なる。

金魚鉢、よみがえる色彩、暗黒をくぐり抜ける、そうトンネルを。