美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜7

「順序よくと申しますと、、、」
喉元から流暢に滑り出させたい気持ちを精一杯いだきながら、滑舌とは明らかに隔たりのある実感に苛まれた現状を、孝之は苦々しく覚えつつも半面ではしかるべき安堵に即しているようで、錆び付いた金具を手にしたときに思いなす、成りゆきのような事態へといささか大仰に還元させてみるのだった。

むろん久道から筋道の明快さを求められたわけではないのだが、この様な持てなしを受けてみれば自ずと身がこわばってしまうのだと、言い聞かせるつもりで胸中をなだめてみる。
あせりだす口吻が先走った妄念と化し、実際に相手の耳へ届いてしまった以上、あとはもう少し落ち着きを取り戻し、できる限りの説得力を維持した展開でもって言い分を伝えたい。
尋ねられたのではなく、そう自分に楔を打ち込む馬力が孝之を昂然とさせた。
そもそもの切り出し口からして、常軌を逸しており不明瞭なばかりか、あまりに唐突な内容を含み過ぎている。
もちろんこうして面会している当人に対し、魚心あれば水心の意想にたなびく予感が用意されていると云う、都合よい思案を加味してのうえなのだが、ことの次第が煩瑣な事情によって、いや精確には複合的な欲情に色づけされてしまっている負い目もあり、どうしても明瞭さを際立たすには自身の恥部を包み隠さず語らなくてはならない。

夢見による遭遇などといきなり奇妙な角度から開陳したのは、実のところさほど冷静さを失ってはおらず、逆に久道の好奇心をくすぐる結果を期待してみたまでのこと。
ペナントにまつわる不可思議も儀礼として添えられた程度に、最終的には私情を払拭させてしまう勢いで、あくまで聞き手としての本領を発揮すべく、それはまた怯懦な防衛意識を最小限に働かさせていながら、なしくずしに久道が纏っているであろう禁忌へと、身勝手に分け入ってしまう不遜に堕するのであった。

まくしたてるような、けれども内心は情念を鎮火させたい望みが上昇した結果、増々萎縮してしまうはずの物言いが反吐になって逆流しただけである。
わずかに顔色を曇らせたふうに見えた久道は、予期に反して孝之の懸念をかき消す反応をしめした。

「そうですか、実はですね、私もその少女が川に転落する場面を目撃しているのです。あれが錯覚であったのかどうか、気にかかりまして独自の瞑想法で行方を探ってみたことがありました」
あらかじめ決まっていた質問に答えるよう静かにそう言った。

それを聞いた孝之は後頭部に衝撃を受けながら、やがて全身の血がさっと引いてゆく感覚に襲われ、急激に何かが萎れてしまう幻影に支配されてしまった。
今までの緊張が一気に霧散し、どこか遠くの方へ放れ去る虚脱にも似た失意を覚える。
だがその失意は孝之にとって決して後悔などを孕んでおらず、未知なる手ごたえを引き寄せる為に守備よく配列された偽装を知らしめた。
奇襲のごとく現れた予兆にはまぼろしの種子が胚胎している。生命が育まれる必然を死が隠蔽したところで、すべてを消滅させることは不可能だ。
孝之のこころは他愛もない焦慮、たとえば部屋のなかを掃除する機会を一大事のように考えこんでいる時間や、寝起きの意識に被さってくる蒙昧さを悲観的に捉えてしまう脆弱、そんな些細な気分に落ち込んでいる自分への憐れみ、その後に余録となって立ち戻る健全な意志を思い返した。

久道からの一撃は何かを損なったけれども、確実に新たなる武装を敷く要請を命じ、まだ見ぬ外敵を愛する矛盾を設定させるのであった。
偶然を越えた神秘を覗き見ようと志したのは単なる戯れによるものだったのだろうか。
思念からはみ出してしまう謎をひとまとめにして、黙された意識のなせる業へ棚上げする安直さも傲慢さも持ちあわせてはいない、だが久道が口にした意味あいは一瞬の目くらませと同じく、孝之を切り裂き、ただちに縫合をほどこした。

「仮りにこっちを見据えた上での虚言であったにせよ、出会いを認めこうやってこの場に臨んだからには、本質的な次元からずれてはいないはず」

こうして夏の午後は永遠に続いていくのかも知れないと、汚れなき幻影が胸いっぱいにひろがり、気がつけば寡黙に見えた相手は思いのほか微に入り細に入りよどみなくしゃべり始め、孝之も歩調を揃える具合に饒舌気味なほど気持ちを高ぶらせていた。
語られるべきところは補填され、あるいは強調されて明瞭な形を整え出し、伏し目がちな感情をともなうまだ幾分かの的確でない部分は、柔らかな手つきで払われる砂のようにとめどもない童心のなすがまま、形状はまだあらわにならない。
互いに交される会話の質もまた砂上にしみ込む雨水となり、深みを知らぬ情況が保たれている。

ようやく、対座したふたりへと昼下がりの想いは密接な時間を分配してくれたようだ。
残暑に燃える外気から遮断され冷房のゆき届いた室内であったが、夏日は夏日であり多分に湿度で充たされた風の微かな流れは浄化されることなく、辺りの空気を侵蝕して止まない。
虚空は真空であるべきなのだと云う、渇いたこころを叱責してくれるのは吝嗇な下心を見越しているからなのだろうか。