美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜48

「そうそう、うちの父親についてね。ていうかわざわざ心配してもらうほどでもないんだけど。やっぱり罰が悪かったに違いないさ。息子をまえにして吸血行為に陶酔するんだもんな。誰だって少しは変なとこがあったり、妙な癖があるだろうけど、いくらなんでもあれは奇行だと胸をはって呼べるからね」
どことなく気楽な口ぶりであったが、自ずと招いた後日談義そのものに没頭している素振りが疎ましくなってきて、身勝手な保身がもたげ始めだしたにもかかわらず、胸中には案外と素直な焦燥がゆくえを求めていた。
できればかいつまんで後々の日々を話したかったのだが、几帳面な性格も手伝ってこと細かに父の変貌ぶりを砂里に聞かし、反応を見ながら質問をしてみたり、故郷に置き忘れてきたものでもあったかのようにそれからの音信やうわさなども織り交ぜながら、気持ちだけは焦りつつも一気にまくしたてるふうには運ばれなかった。
すでに純一は自身の願望が抑えきれなくなってきており、いくら相手のためとは云え反芻にも似た会話を続けるのが面倒に思えてきた。
磯辺家にとって名誉なことであればむろん苦になるわけでもなかろうが、話せば話すほどに惨めな気持ちを回避させるのが至難になってくる。掘り下げて考えるほどに高尚な心理などに近づくどころか、増々嫌気がさしてくるだけで仕舞いにはつくづく運が悪いなどと嘆きにまで発展するのだった。
しかし、不運に見舞われてばかりだったわけでなく、それなりの出会いやときめきもこの胸を通過していったのだからと、かつて驟雨にとまどいながらも決して泣き言だけでやり過ごしていなかった数々を顧みて、微かな矜持を呼び戻した。

父の現状を語るまえに何故あのような奇怪な訪問に随行したのか、せめて動機だけはきちんと砂里に了解してもらいたく、またそれを伝えるのは願いが伏せ字のような効果を生むのを予覚していたからで、好むと好まざるも、所詮はせりあがってくる欲動につき動かされているのだと判断した結果だった。
興味本位が不純であるなら純一の話に聞き入る砂里も清浄とは言い切れない性根であるし、そもそも異性間でありながら恋愛には到底結ばれない実情を納得し、同志など大仰な結束力だけで行動を共にしたのも、よくよく考えれば風変わりな関係性である。
純一のいらだちは詰まるところ成就と明言されるべき現実に顔向けできない悲運にあった。
いらだちに年齢は関与しない、むしろ逆巻く自然を囲う方便に熟練していないがゆえ若さは老成に憧れる。完結までほど遠い作品のような、あるいは落成のめども立っていない工事みたいな、故意ではない手つかずは瞬発的な発光に幻惑されやすい。
思春期にありがちな高邁な意志に惑わされた顛末に悔いはなかったが、偶然を装った形の出会い、肉親の不埒な行為がめぐり会わせた初恋には心底絶望した。
こころも大きな傷を負ったけど日常を見据える大切な眼球も片方失ってしまい、簡単には立ち直れないそうもない不遇を青春の勲章とまで自負する屈折は根深い。歪んだ鉄筋がそのままの状態をしばらく保持し、本来の強度とは無縁の働きを示すように。

故郷に縁がある砂里との邂逅もまた定められた軌跡を追う盲目の旅人であった。
もちろん純一は盲人ではないが、ひかりを見つめる器官が半減している限り闇夜の道行きには好都合となる。父のとった陰湿な仕打ちに奮然と立ち向かえる負の勇気は暗黙の畑地で培われた。
他人である砂里と共謀する以前から父との間には提携が成り立っていたのだ。何を好んで超常現象にまつわる人物を尋ねるのか、いくら郷里だからと云え吸血事件の犯人と目されている女性にのこのこと会いに行ったりするのだろう。
まっとうな頭で考えてみれば瞭然としている行動に痙攣的な好奇心を抱いた時点で見限るのが当たり前なのだけれど、表面では平静を装いながら新たな提携者である砂里を引き入れ、崩れゆく浅ましい父親像に立ち合ってみたかったのか。
訊けば砂里も内密な事柄を長年温め続けており、どこでどう繋がったか、美代と彼女の母にはそれとなく因縁めいた過去があり、しかも張本人である父と亡き深沢とは夢境で知り合ったと云うではないか。
のちの否定的な見解では、夢見が後発で前々から聞き及んでいた研究者の妹に触れてみたかったと説明していたが、どこまで信用していいものだろう、自前で起こした淫らなな挙動をひた隠しにし続けている姿勢からは軽蔑しかもよおさない。それでも、反旗を翻す意識を抱きはせず共通項を認め、ひずんだ歓びを決して捨てきれないまま、轍を踏むように陰湿な復讐を試みるが、相変わらず何も成就などせず、却って自分が汚れてゆく不甲斐なさを知らされた。

そこまで噛み締めながらあらましを語った純一だったが、徒労に終わる懸念ばかり先走って、肝心の思惑をうまく差し入れることができなかった。もうあからさまに伝えたほうがよいのではないか。だが、純一の熱気は吐息として冬空から少しばかり遮断された周囲に霧散した。
そのときだった。神妙な顔つきをこしらえ黙って聞きいっていた砂里が声も艶やかにこう言った。

「えらく遠まわしね。純一くん、わたしのこと抱きたいんでしょう。顔にそう書いてある。不可能な肉欲って反対に募るばかりだもんね。困ったわ」