美の特攻隊

てのひら小説

ロマン

赤いまぼろし

そういえば、最近コタツに当たったことがないわね。いや、去年の今頃だったかな、知り合いの家でほんの申しわけ程度に足の先を入れたっていうのはあったけど、ほら、ぬくぬくと胸元までもぐりこむようなのは相当まえの記憶よ。 第一背丈が違う、子供の時分は…

ウミガメと僕

潮風が心地よかった。身をかすめゆく感触に午後の日差しがしみ入ったからでなく、右隣でギターを爪弾いく青年の柔毛が頬を撫でているのが、遠い異国から届けられた景色のように儚げで美しいからだった。 とりまいた子供らも口々に「きれい、きれい」とほめそ…

燃える秋

俊輔は尾根から麓までまだらながらも色彩が植えこまれた山々の威容を想像していた。 遠目には種類は判別出来なくても木々が燃えさかるようにして色めきだち、しかも枯れゆくまえにして鮮やかな変容を遂げる情念を静かに夢想すれば、山全体を眺めやるまなざし…

さわ蟹

生家の裏庭に面した流しの下はちょうど水たまりに似て、心細げに類家の畑の溝へと通じており、春さきともなれば白や黄色い蝶蝶がふわふわ舞うさまは身近でありながら、陽光の届けられるまばゆさに名も覚えぬ草花が匂いたつようで、見遣る景色はなにやら遠く…

蛇女の怪

頬をなでる冷ややかな風に引き締まった美しい弦楽の奏でを感じるよう、僕にしてみれば子供らの奇妙なうわさ話は、秋の空から舞い降りてきた贈りものだったのかも知れない。 最初耳にしたときから聞き流してしまう理由をあげてみるより、風のなかにひそんでい…

名画座

雑踏からはぐれた感情は置き忘れられてしまい、すでにその光景の中へと包まれていた。 都会の夕陽を背に十年以上を経てその空間に佇んでいる。 胸いっぱいにひろがった得体の知れない気持ちは、ときの推移に抗わず、一定の場所に立ち戻るために、滑走路のう…

フランケンシュタイン

夏を夢見る。 部屋の中をしめやかにさせた陽の陰りに午後の衰退を覚えれば、うつらうつらとした意識は更に心地よく、このまま眠りに落ちていく軽やかさがかけがえのないようなものに思えてくる。 が、陽射しは白雲に暫しさえぎられただけで、海水浴場を輝か…

青いまぼろし

なだらかな山裾がぼんやり映りだされると夜の空気は流線になった。 眼を凝らすまでもなく、木立から離れてしまった寂しげな枯れ葉が幽かに揺れているのがわかる。その先に静かなみずうみを見いだす予感も訪れて、葉ずれとさざ波が月影へささやき始める。 し…

伴走

その話しならこの頃そういう気分じゃないから今度ゆっくりね。 それはそうと、あんたこのまえ訊いてたでしょ、ものごころのうちではけっこう鮮明な方だと思うんだけど、犬の名前はたしかペロだったわ。あたし保育園にも行ってない時分だったし、あんたはまだ…

輪花 (りんか)

石ころを蹴りながら下校した記憶が不意によみがえった。 連れ立った帰り道は透けてなく、意地らしくひとり、うつむき加減でやわらかな陽射しを受けている光景が振りかえる。 微笑みで、いえ、気難しそうな表情で、そうじゃない、寂しげに、どれもしっくりこ…

まどろみ

今日も星がいっぱいだ。 江波純也は今しがたまで、グラス片手に気分を広げ、又特異点のような空間に去来する自分自身へと酔うにまかせていた。 そして、気がつけば酒場を後にコートの襟を立てゆったりとした足取りで、帰途につきながら夜空を見上げている。 …

くらがり

季節は思い出せません。しかし黴の匂いは今でもしっかり鼻に残っています。 夏の盛り、押し入れに畳まれた布団のなかへもぐりこむのは快適な遊びでないはず、とすれば小雨に煙る春さきだったのか、湿気が立ち退いてゆくのをどこか心細がっていた秋の頃なのか…

老人とわたし

いつかの続きね、あら違うの、でもわたしがそう思うんだから別にいいんじゃない。 連続性は意識のほうにあるんでしょ。室温より冷蔵庫のなかが冷たくないってどこかで聞いたことあるわ、どれくらいの温度なのかなあ、缶コーヒー入れといたらホットにはならな…

イノセント

一席おつきあいのほどを。 なんでございますな、ちまたでは草食系などと申します男子が増殖しておりますそうで、どうにもあたしらにはピンときませんがね、色恋を避けているって風潮ですから、世も末なんでしょうか、はたまた少子化を担うために人類がとち狂…

ハンスの物語

「その時間なんだよ」 皆の注目を一身に浴びたハンスは得意気な顔を浮かべたのでしたが、雲間から覗いては消える太陽にほほ笑みかけてるとも思われました。一方飼い主のオステンは驚嘆する人たちに応える表情を最近くもらせ勝ちです。 算数の出来る馬として…

惜別

「暮田くん、、、暮田くん」 そうくり返された声が自分を揺すぶっていると知るまで、いえ知ったあとでさえ、次第にかき消えてしまう余波は何故かしら、空耳にも似た微かな実感でしかありません。 春休みをまえにして先生より手渡される通信簿にまごついてい…

鉄橋から来た少年

社会人になった夏のこと、そう記憶しているのは初々しくも溌剌とした心境と燃え上がった太陽が互いに認め合っていたという強引な解釈なんかではない。あの日の光景を振り返れば、自ずと勤務先の会社の窓ガラスに張りついた天候がまず一番にまぶた焼きつけら…

初恋

冬の空をよそよそしく感じていたのは、日の光とそぐわない冷たい北風のせいだったようです。 情熱的な蒼穹に躍らされた夏の日々から随分へだてられた気がするのも、やはり肌寒さが身にしみてしまい、折角の晴天はどこか取り澄ました高さで見おろしていると覚…

にゅうめん

静夫が十歳になったばかりの秋でした。 「明日から親戚の子をしばらく家であずかることになったから」と、いつもとは違った目つきで母親から聞かされたとき、みぞおちが急に熱くなってしまって、しかし学校でよく起こす苦痛はともなっていなかったので、胸も…

こおろぎ

長生きしようが、早死にしようが、こおろぎの音くらいこの国に生まれた者でしたら耳にしたことはありませんか。わたしは小さい時分、背丈ほど盛り土された芝生に駆け上がり、指先からはみ出すほどのびた青草をむしる要領で掌を握りますと、面白いくらいこお…

巣窟

「まったくなんで火を灯したりするんだろう、こっちは熱くて仕方がない。このまえも何かの弾みで落ちてきたろうそくの固まりで仲間がやられた」 芸太の任務は斥候です。たいがいは彼一匹で遂行されるのでした。人間たちの習性について蟻の芸太が知りうるのは…

広場

性懲りもなく隣町の隣の町へ遊びにやってきた。今回は案内人がいる。なんでも一風変わった建物があるとかで同行を引き受けてもらったのだが、実はそんな風聞などまったく耳にしたこともないまま、半信半疑でNさんの言葉に従ったわけで、そうかといって期待に…