美の特攻隊

てのひら小説

恋愛 官能

夜へ

白雲がよく映えた夏の朝、列車を待つホームから遠い町へとのびるレールにふりそそぐ陽射しをゆったり見つめながら、何故かわきあがるべき旅情を制するような、物おじが先立つ足もとに気をとられてしまって、その影は反対車線のさきほどから鈍いを音を放って…

かくりよ

もどかしいほど静かなのね。ええ、とてもゆったりとしたさざなみが押してはかえし、かえすさなかあなたの産声をどこか遠くに耳へしたような心持ちが生まれて、それはそれは不思議な響きがするのです。でも生まれたてすぐさまの音色なんか、案じてみてもとり…

つづれおり

もし私が感情表現を持ち合わせていなかったとすれば、当然ながら表現以前に接点さえあやふやだと考えてしまうところだが、果たしてそれは確かな解釈であるのだろうか。表現にとって感情は常に不可欠でなければならないと仮定してみると、喜怒哀楽がわき起こ…

ひめはぎ

うららかな春日和の過ぎゆきとは無縁だったのだろうか。やるせない午後の気色に身をまかせていると、階段を上る足音が聞こえてきた。遮光を願う意識には秘密がほの明るく灯されている。性急な心持ちがやんわり抑えつけられてしまいそうに弱々しく、か細い、…

夜の河〜27最終話

短い突風が去ったあと、ひとりになった初恵はぼんやりと窓外を眺め、言葉を置き忘れたかの面持ちで呼吸をしていた。しばらくして憔悴の色を隠しきれない孝之が席に戻ってからも、この居住まいがもっとも適度な距離感を保ていると思い、網棚に荷物を置いたま…

夜の河〜26

太陽の意思ではなく白雲のわだかまりと、千切れ雲の気まぐれが光線の配分を決定し、車両の縁どりを見送ってゆく山々の夏木立が使命感に萌え、陰りのときを創出した。初恵のからだは陰陽に引き裂かれ、ことが過ぎてしまったあとの陽のひかりは白々しいばかり…

夜の河〜25

太もものつけ根まで左腕を忍ばせるにはどうしても半身を窓際へとひねりこみ、通路側へ背を向けてしまう恰好をとらざる得なかった。となりや斜めうしろの乗客の目がこちらに注がれてないにもかかわらず、きれいさっぱり拭いさることが無理だったのは、これが…

夜の河〜24

夢の偉大さは、なにより空白と沈黙をもたないことにあった。それが思考空間であれ叙情光景であれ、ゆらめく旋律も歯ぎしりのような騒音も、すべて見て聞かれることを大前提に上映される物語であるからだ。もっとも停電みたいに視覚が奪いさられるときには、…

夜の河〜23

初恵の瞳は繊毛を想わせる微細な感情で揺れているようだった。孝之から見れば、その姿はけっしてさまよい出してはいけない閉じられた押し花だったのだが、それは夜の夢とは異なるところ、濃霧によって秘められた隠れ里の様子が、年に一度うかがい知ることを…

夜の河〜22

流れゆくはずの窓のむこうに時間は生起していない。孝之の目は特異点となることで後退する背景はむろんのこと、初恵の残像さえもその場からにわかに消しさった。するとひとこまが次のひとこまに瞬時に移り変わるようにして、あらたなの姿態が形作られるのだ…

夜の河〜21

もの思いが唐突であれ、緩やかであれ、訪れるやいなや脳裏から振りはらおうとするとき、ほこりをはたく調子で軽やかに速やかに消えてなくなればと、あらためて念を押すような心づもりがあるわけでもなく、しかし、念押しされる特定の箇所がきわだって、そう…

夜の河〜20

山腹をきわどく縫いながら列車は走行してゆく。時折、山林が切り開かれたところから下界を見おろす場面が現れるのは、かなり高所であることを実感させ、そうかと思うと次の瞬間には漆黒のトンネルへと吸いこまれてしまい、またもや車窓に浮かび出る自身の半…

夜の河〜19

春の陽は長く感じたが、気がつけば宵闇はすぐそこにせまっていた。孝之にも家内にも暗影は忍び寄る。息子はと見ればまるで光源を背にした独裁者の孤影のように、危うさはらみつつも飛び立つ鳥に似た警戒心を先取りしており、それが一種の確固とした信念にも…

夜の河〜18

同郷であること、確率的に考えてもこの特急に居あわせる乗客の比率は高いはずだった。車両のなかには他にもまだ幾人かは乗りこんでいるかも知れない。もっとも孝之は町外れの山村で生まれ育ち、高校からは東京で過ごした為にあまり顔なじみはいないのだった…

夜の河〜17

孝之から発している独特の雰囲気が初恵を朝もやのように包みこんだのは、彼自身の接しかたによるところも貢献したのであるが、初恵からしてみれば現実の大人たちに否応なしに結びつけていることとは、絶えず日常のくり返しと些事によってでしかなく、大学教…

夜の河〜16

偶然とはいえ故郷に縁のある大学教授と隣り合わせの、しかも列車内と云う情況が初恵を高揚させた。もともと権威や勢力などへの興味は薄かったのだが、義務教育の地続きである高校生活から社会への前哨戦とした旅立ちにも似た専門学校への入学を経て、そこで…

夜の河〜15

「じっとわたしの顔見つめてたからどうしたんだろうって、誰かと勘違いしているんじゃないのかなとか、よく似たひとだと思っているのか、それから、、、ひょっとしたらわたしのことが気になっているのかなって」「たしかに気になってました。さっきも話しま…

夜の河〜14

特急列車の走行音と振動は懐かしさをひかえめに響きわたらせてるように聞こえる。所用に手間取ってしまい駆けこみに近い勢いで乗車してから指定の席を見つけ、このまま乗り換えなしで到着する町までしばらくのくつろぎが約束されている気がした。目を閉じあ…

夜の河〜13

墓所がもし貯蔵所であったなら、、、暗色にひろがる荒涼とした無限に約束された眠りの遺骨は屍であると同時に、爛漫たる躍動に満ちあふれた大いなる沈める帝国かもしれない。わたしと云う君主を戴き、風となって野山を駆けぬけ、山稜に飛びあがり白雲をかす…

夜の河〜12

夜霧が何のためらいもなく晴れていくように、漁り火が静かな別れを告げながら遠ざかっていくように、めざめはいつもと変らず待っている。谷間をつたう清水に足もとをひたす感触が、ちょうど冷水で顔を洗う手間を先取りしてくれていればなおのこと、いつにな…

夜の河〜11

久道の大きな危惧の念とは、とにもかくにも彼の主張する神秘の扉が開かれたとき、果たして人々、軍事大国首脳らが、どのような対処をもって未知なる存在を受け入れることになるかと云う事態にあった。だが、長年の考察によれば世界各国にはすでに異星人の塁…

夜の河〜10

ことさら世情に造反したかの態度で今夜自室にこもり、コリン・ウィルソンの大著「オカルト」を耽読していたのは、傍目から見れば少しばかり奇特な様子に思われるかも知れないが、深沢久道にとってみれば、きわめて明快な意味あいしかそこになかった。花火大…

夜の河 〜 9

陽光がまぶたのうらに赤く染みこんだかの記憶は茫洋としたまま、しかし追想される、きれぎれなひとこまのなかに於いてひび割れのように引かれた、あるいは二枚貝がわずかに海水をあらためて含みいれる様相で、薄目をかすかに開くと、月あかりの有為転変を眼…

夜の河 〜 8

洞穴の出口にようやく近づいてきたのか、ほの暗いなかをいつか想い出のうちに印象づけられた淡い光線が、まぶたの裏に幽かに甦ってきたのがわかり、ためいきに似た気休めをもらすも、しかし軽微な希望であることを決して忘れ去ろうとはしなかった。意識の黎…

夜の河 〜7

酒の肴にと奥さんがさばいてくれた、あじととびうおの刺身をつまみながら、口中に新鮮な青りんごをかすかに思わせる白ワインを含めば、潮の香りが風に乗って遠くまで運ばれ、人気のない山村に生える果実の木のしたへと、まるで眠りをもとめてそこへ安息する…

夜の河 〜6

いつの頃のものかはわからないが、十分に時を経た木桶は、この畳部屋に備えられると見事なまで風趣に富み、恰好のワインクーラー代役を、いや、それにとってかわる役柄としての調和をみせていた。 あべこべに孝之が持参したフランス産ワインのほうが、浮いて…

夜の河 〜5

古びた佇まいながら、玄関のガラス戸や格子が醸し出す風情には泰然とした郷愁が備わっており、屋内の印象も同様、あらたに増築された部屋は別としても、木目を土色にくすぶらせ、天井があたまの上に張りついているかのこじんまりとした造りは、現代からみれ…

夜の河 〜4

その日、深沢久道は所用で車を走らせながら、昨夜みた夢がどうしてこんなに印象深いのだろうかと首をかしげ、川沿いの道に出たところで浴衣すがたの若い娘とすれ違ったのだが、次の瞬間、ふとサイドミラーに目をやった時にはすでに距離を隔てており、しかも…

夜の河 〜3

ほの暗い眼をした見知らぬ男が、すれ違い様に何とも薄気味悪い笑みを浮かべる。暗鬱な余波だけを残して遠ざかってしまう男の行き先を初恵はなぜか知っており、それが恐ろしく矛盾した思念であること、はかない定めと了解しながらも、男のたどる軌跡に一抹の…

夜の河 〜2

初恵は神木と伝わる大楠の木陰で涼をとってから、港のにぎわいが潮風をはらんだほどよい熱気に感じられ、川縁に沿って海岸の方へと歩いていった。鉄柵がいくらか低くなった辺りにきて下方へ目をやると、垂直に切り立ってはいないが傾斜のきつい、コンクリー…

夜の河 〜1

生まれ育った町を離れ専門学校のある都市で過ごした一年目の夏は、帰省にあたり結城初恵を瑞々しい陽光で向かい入れた。正月には帰っていたのだけれど、冬着の重なった衣服のせいなのか、直接素肌全体に光差すのをこばむかのように、その冷たい上空からの陽…

投函 〜 あの夏へ 38(最終話)

出現と言い表わすには実感からほど遠く、疑似空間を再認識しようとすればあまりに近距離であって、飾り棚の人形を見つめるなまなざしが、そこに生身の生命を見いだそうとする幻視のような仕掛けなら、半身水中に没する浴衣のなりはまさしく実在を逸した、霧…

投函 〜 あの夏へ 37

意識の連鎖はふとした弾みで断たれたと云うよりも、それが必然の理であるように過去は隠れさり、いまここに未知なる映像がときの支配から愛でられていた。湿り気を含んだ磯の風が泥にまみれ、嫌悪までには至らないけれど好ましいとも感じられぬ匂いがあたり…

投函 〜 あの夏へ 36

放心から覚めやまない孝之は自身のいきさつを語ることより、フカサワと名乗る男が超常現象とやらでここに存在している理由を切に欲した。「わかりました。魚たちが飛びまわり始めるには少し時間があるようです。あなたが探している女性もそのとき見いだせる…

投函 〜 あの夏へ 35

「初恵は確かわたしの夢は見れないはずと言ったはずだが、、、それにしても夜の川ってこんなにも不気味なところなんだな」磯辺孝之はひとつの決意を抱いてここまで、息子に意見されるまま素直にしたがい、それはあたかも巡礼であるごとく恐る恐る、けれども…

投函 〜 あの夏へ 34

孝之のからだにぬくもりが伝わってきた。「まだ、出たらいけないのよ。あと、十数えるの」母のくちぶりには陽炎みたいなはかなさがあった。あの頃はまだ薪のにおいが通りを漂いながら、夕闇にひろがっていった。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、…

投函 〜 あの夏へ 33

孝之の目は渇ききってしまっていた。絶対の信憑などはなから存在しないことは承知であったし、あくまで夢語りとしての帰依とも云える王国、絢爛たる色彩、つまりは忌諱されるべく極彩色で描かれてこそ、そこに忠誠心が胚胎する仕組みであった。自分と云う入…

投函 〜 あの夏へ 32

孝之は素直に従った。初恵の言葉にではなく、夢の言葉に対してである。過失と裏切りと用いながらも、信頼と治癒をつかさどる、己の王国、あるいは過剰なる鬼門。紋切り型の鍵の象徴などは、文献のなかに考察するべきであり、さながら家族だんらんのクリスマ…

投函 〜 あの夏へ 31

「触ってはいけない、医者はどうしたんだ。すぐに手術してもらわなければ」あわてふためき突き上げてくる衝動に忠実であることを空間は認可しなかった。床が強力な磁場で形成されており、身動きとれないのが常套手段であるとしても、全身から生き血が抜きと…

投函 〜 あの夏へ 30

夜の海からゆっくりとわき上がる、落ちつきに満たされ出した気分にひたろうとする刹那、忘れかけていたもうひとつの感情が静かに、足音をしのばせたかのような慈しみをもってこの胸のなかに浸透してゆく。美しい音色でこだまする幽かな旋律は、思念において…

投函 〜 あの夏へ 29

線路と云う一本に連なる道行き。山間部を走ればすぐに待ち受けているトンネルと云う空間、母体に開けられた魔法の時間が過ぎゆく漆黒。トンネルをくぐるたびに孝之は、夜明けや日没の意志に促されるよう、思考がおおらかに切り替わってゆく快楽とも呼べる意…

投函 〜 あの夏へ 28

道行きを指し示しているのを億劫になる沈滞した気分が、さらにその場から動くことを怠るのは、ぬるま湯のなかに浸り続ける居直りにも似た情態であろう。車両が揺れるように、湯船は心地よさをぬぐい去ることなく、次第に冷めゆく身を憂いながら、それでも残…

投函 〜 あの夏へ 27

新幹線でN駅に到着した磯辺孝之は、特急へ乗り換え待ちのあいだに純一の消息をようやく得ることができた。三好の主人から直接の連絡であった。「だいじょうぶだよ、意識もしっかりしているし、本人は歩けるって言ったそうなんだよ。骨折はしてないようだ、打…

投函 〜 あの夏へ 26

両手を後頭部で支えてみるようにして、伸びた背筋のうしろすがたに気をとめてみたものの、裸のままそんなポーズをとるよう言った純一の思惑がよく解せないうち、背後から見つめられていると云う、気恥ずかしさが鳥肌のように全身を被ってしまい、「意識を背…

投函 〜 あの夏へ 25

予期せず眼前に陽炎のごとく現れた、冷たい至情を持つひとがた。鮮明な木立の陰影に隠された、歴然たる情感の波立ちのさきには、すでに序章が始まっていたのを意識しえない。だが山の神が微笑みかけるのなら、おそらく自分に優しく投げかけたであろうと想わ…

投函 〜 あの夏へ 24

過ぎゆく四季への目配せ、、、純一がこのまちで体感し想像した一種の儀礼。そして彼が東京から持ちこんだ、徹底した自慰の精神。これはおごそかに存続され、また両親の提案を受け入れたことと同様、表面的には妥協によってなかば解体されてしまった。だが、…

投函 〜 あの夏へ 23

吐息ととも熱気に冒されたあきらめを含んだとまどいが、遠い胸のなかで結晶のように成りかけるのをなかば知りつつ、また情念がことばとして紡ぎだされようとする今、秋風に吹きなだめられるやや渇きかけた純一のくちびるに対し、初恵は混濁した汚水があふれ…

投函 〜 あの夏へ 22

船着き場を横目に勾配が急になりつつある坂にさしかったあたり、右手には防波堤を乗り越えていくような浮遊感が運転席からも心地よさをもって高まりはじめ、その彼方に解放されている蒼海が見る見るあいだに視界に収められる。陽光のみなぎる鮮烈さは、フロ…

投函 〜 あの夏へ 21

小首を傾げ気味にした目もとは、身長の差で定置へと配属されたふうに、やや下方から見上げられる面を一層、小悪魔的な挑発で浮かびあがらせると、あたかも純一の視線にそって飛び火して来そうな勢いのまつげが鋭く、際どい電撃になりながらも、信じられない…

投函 〜 あの夏へ 20

目が覚めたとき、純一はここが何処であるのか瞬時に判別することができなかった。しかし、次のまばたきで確認された事態は、夢の出口を振り返る想いよりも先行された、外泊をしてしまった、三好の家に釈明を、と云った焦燥が前景に押し出されるのであった。…